階層についてさらに考える。

ここ数日、あまりに色々なことがありすぎて、

よくわからなくなっている谷原でございます。

おはようございます。

今日もきっと濃い一日でしょう。

で、物事には階層があるという話なのですが、

よくありがちなパターンとして、

親が子供といろんな決めごとってあるみたいじゃないですか。

たとえば、宿題やってからじゃないとDSしちゃダメとか、

DSして良い時間は30分までとか、

テレビは一日1時間とか、etc…..

それ、人の家の決まり事だから他人が何かいう筋合いないので、

何も言いませんけども、

それがなんのための決まりごとなのかという階層を考えたら良いと思うんです。

これ、私には、すごく無駄な無意味な決まりごとに感じます。

なぜなら、そんなことしても、

良い人になったり、良い人間になったりすると思えないからです。

30分までとか言われても、

まだまだやりたいときありますよね。

それも、別に毎日絶対やりたいわけじゃなくて、

すごくストレス溜まってるときは、

しばらくじっとしてゲームとかに熱中してたいですよね。

大人がそうなんですから、子供も同じです。

学校はそこそこ修羅場ですよ。楽しいだけじゃないでしょう。

だって、あなたも子供の頃そうだったでしょう?

友達とのちょっとした小競り合い。

先生に言われたことに傷つく瞬間。

色々あったじゃないですか。

でも親はそんなの全部知ってないですよ。

あなたの親も知ってなかったでしょう?

あなたも子供のそれを知ってないんです。

で、その状態で、家に帰っても、ルールを守れ!だとか、

だらだらしてたらダメだ!とか言われるわけです。

そんなこと言われたら、素直に何か従おうと思えます?

思わないですよ。

反抗するだけだと思います。

子供だって精神ねじくれますよ。

私が子育てしてる時には、

必ず階層でものごとを判断しています。

ゲームをするとか、宿題するとか、

それは一番下の階層です。

そこに感情さえないのです。

ここは、やってもやらなくても、やりすぎても、何がどうなっても、

人間としてダメになったり、良くなったりしない階層です。

だけどこの階層でものごとを考えていない人は、

ゲームをし続けると悪い人間になるとか思うわけです。爆

またルールが守れないやつは悪い人間になるとか思うんです。

これ、階層がまったく違うので、

こんなルール守れなくても悪い人間になったりしません。

階層の考えがないと、すべてがごちゃ混ぜで、

ルールを守れない=悪い人に成長とか、

あり得ない方程式を持ち出します。

これ、単に、親の頭がごちゃ混ぜになってるだけなんですよ。

そしてその上の階層に、気分がいいとか悪いとか、

悲しいとか辛いとか、

感情の階層があります。

ここは絶対に放っておいてはいけない階層なんです。

親は下の階層ばかりきにして、ここを放っておいてる人が多すぎる。

そうじゃないんです。

この感情の階層は放っておいてはダメなんですよ。

その上に、子供の人格、性格があります。

ここはすぐにはどうしようもないので、放っておきます。

感情の階層が良くなれば、人格も良くなります。

さらにその上の階層に生き方の階層があります。

人生とはどう生きると楽しいか、充実するか、の階層です。

ここは、適宜に介入します。

充実するには、適宜に物も必要ですし、環境も必要です。

環境や物を整えてあげたりするのは、生き方の階層を整える事になります。

さらにその上には、人生全体の生き方の階層があります。

人生全体を通して、何を成し遂げるかという階層です。

これは親が自分の背中をみせて理解させる必要があります。

これらの階層をごちゃ混ぜにしていると、

子育ては全く支離滅裂になります。

これは子育てだけに言えたことではありません。

何かを習得する、学習する、体系を理解するときも、こうした思考が必要です。

占星術を理解しようとか、セラピーを習おうとかいうとき、

こうした、階層での理解がないと、

全部がドットとなって、同じ階層にあると考えてしまうと、

まったくわけがわからなくなります。

子育てしていても、今、自分は親として何をしたらいいか、

すっかり、さっぱりわからなくなってしまうのです。

仕事をしていてもそうです。

自分ができることやれること、

その上の人ができることやれること、

さらに社長ができることやれること、

ぜんぶ階層が違うのに、

同じ階層で考える人は、

上の人がやってることや考えていることが理解できません。

まったく見えないのです。

見えないのに、わかったつもりになって文句をつけたりしている場面がよくあります。

これはすごく無能なことです。

文句がつけれるときは、同じ階層になったときにつけられる。

たとえば、セラピーならば、

個人セッションだけをしているときと、

講座をするようになったときと、

講座を生み出すようになったときと、

それを回してシステム化していくときとでは、

考えてることも感じていることも全く違うのです。

でも矛盾していません。

でもこれがわからない人は、矛盾だらけだと感じるでしょう。

私は講座を自分でするようになってから、

同業者や講座をしている人に対して、エライ厳しい目で見るようになりました。

この厳しい目は絶対に必要で持つのです。

その目がなければ、自分が向上しないです。

でも、講座を受けてる人たちはこの階層にいないので、

なんでそんな厳しい目でみるのか、みんな違ってみんないいじゃないかとか、

それぞれ自由にやったらいいじゃないかとかいって、

それがいい考えだとか思いがちです。

それがいい考えなのは、講座を受ける側の階層にいるときです。

ひとたび、講座をする側になったならば、

自分の講座をよくするためには、周りをよく見て、批判力をもって見て、

その上の上質さを求めていかないことには、絶対に良くなりようがないのです。

しかし、階層の違いが理解できないと、

これがわからなくなります。

階層が理解できると、批判力を持つことも、

批判力を持たないことも、まったく矛盾してないのです。

階層が理解できるならば、批判力を持たない、という階層も理解できますし、

批判力を持つという階層も理解できるのです。

どっちも正解ですが、同じ階層にはない。

でも、目指しているものが同じで、そこに矛盾がないことがわかります。

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