【心理的逆転を克服する】私は私の意志で生きているのだと思え!

心理的逆転って一体何だろうと思った時に、

こう考えてもらいたい。

それは、猫に「この部屋に入ってはいけない」とか言うと、

猫は何が何でも入ろうとする。あれこそ心理的逆転の基礎なのだ。

それは幼児もする。

幼児に、「ガスレンジは絶対に触ってはいけない」などと言うものならば、

即座に触ってみようとする。なにがなんでも、目を盗んででも触ろうとするだろう。

これこそが心理的逆転の基盤だ。

つまり、この時に何が起きているのかというと、

人の意向に従わなければいけないという状況がくると、全力で抵抗するということだ。

これは誰もが持っている反応で、これをこじらせると、心理的逆転になる。

あなたが学生のとき、こんな経験はないだろうか。

明日テストだから、勉強しようと思って意気揚々と帰ってきたのに、

家についた途端、母親から「勉強しなさいよ!」と言われた。

勉強しようと思ってたのに、それを他人から言われたとたんにやる気ゼロ!

なにがなんでもやってやるものか!などという気持ちが芽生えてくる。

心理的逆転はこれの応用編なのだと思う。

今は大人になって、誰かに何かをしろと命令されてるわけではないのに、

設定の中で、「自分は人から命じられる人間である」という設定をしていると、

自分が望んではじめたことでさえ、

誰かから命じられてしているような気持ちになってくる。

気持になってくるし、実際に命じる人さえ引き寄せてくる。

そういう設定に合う人を引き寄せて、

その命令されてる気分をらに味わうための舞台装置を、

自分で設定する。

こんな大がかりな舞台装置まで用意して、体験したい気持ちは、

被害者意識なのだ。

絶対に何が何でも被害者でありたい。

被害者でなければならぬ!

という自作自演劇をやりたくて、やりたくて、やりたくて、

それのために人生をついやしてしまう。

だがしかし、これは無意識ちゃんが行うので、

本人はそれに気が付いていない。

「なんかしらないけど、身体がうごきません。」

「うごきたいと思っています。やりたいと思ってます。でもできないんです」

ここから抜け出すには、

自分が自作自演していることに気が付かないといけない。

あなたのその体調の悪ささえ、自作自演であることに気が付かないとならない。

被害者でいるためには、体調がわるくならないとならないのだ。

誰もあなたに、なにか仕事を無理強いしたりはしていない。

辞めたければ辞めればいいだけだ。

つまり、辞めずにやっていること自体が、

自分が選んでその仕事をしているのにもかかわらず、

その現実を正しく見ることができずに、

人から命じられてやらされている気持ちになるのだ。

そして、体調が悪くなるのだ。

ここには、無意識の中の親が登場している。

または、親でなければ、ガイドとか、神とか、大いなるものとか、

そうした人物に、存在に、

「やれといわれている」というような妄想を抱いている場合が多い。

この時に、確実に心理的逆転は発動する。

本当は自分がしたくて勉強しようと思っていたのにもかかわらず、

親から「しろ」と命じられた途端にやる気を失うのと同じで、

本当は自分がしたくてしている仕事にも関わらず、

無意識の中で勝手に「誰かにしろ」といわれているような錯覚をおこし、

とたんにやる気を失うのだ。

やる気を失うか、病気になるか、体調不良になるかする。

そうしていうのだ。

「もともと私がしたい仕事ではありません。」とかね。

それは妄想であり、錯覚である。

自分は全くそんなつもりはないだろう。

ここで鍵なのは、「被害者意識」である。

誰かにさせられている、強いられていると思う瞬間に、

人は全てのエネルギーを失うのだ。失ってうつ病にもなるし、病気にもなる。

あらゆる手段をつかって全力で抵抗する。

これが心理的逆転だ。

そんなことがおきたら、自分が何に向かって抵抗しているのか、

よく分析してほしい。

嫌でも、まじまじと見入らないとだめだ。

心理的逆転を起こしているとき、

多くの人は、そこから目を背けようとする。

できないものは、できないんだ、と開き直ろうとする。

そんな開き直りをしたところで、

何も生み出さない。

一度、思ってみると良い。

親などいない。神などいない。ガイドなどいない。

私は、私の意志で、生きたいから生きているのだ!と。

親と繋がれない人は神と繋がれないということを言う人がいるそうだが、

そんな考えは吹き飛ばすがいい。

神と繋がりたいから、だから親と繋がろうなんて、姑息な手段はやめたほうがいい。

私は私の意志でいきているのだ!と、

親も神も関係ないと、思ってみるといいのだ。

誰もあなたに何かを強いたり命令したりはしてないのだ。

その設定が全部妄想であることに気が付くと良い。

子供の時ならば、ヘソを曲げたら、もしかしたら親や誰かが、

「いやいや、すまなかったね」と謝ってくれるか、

心のどこかで、「すまなかったね」と思うかもしれないが、

そんなことを期待するのはやめろ。

誰かに「すまなかった」と言われることを期待するのはやめろ。

突然具合悪くなったりする人は、心の中でそうしたことを期待しているのだ。

大人になったあなたが、ヘソ曲げたところで、

誰も困らないし、だれもねぎらったりしないし、

誰もあなたの機嫌を取ったりしないだろう。

心の中で、すぐに拗ねて、だだこねようとする、

その対象となる、

親や神という存在を、

一度まっさらにするといい。

自分の意志で生きよ!!

自分の意志で生きるのだ!

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