やること沢山、でも暇だ

そろそろやらなくてはならないことが色々ある。自分で決めた期限のものもあるし、提出しなければならないものもある。だがしかし、暇で暇でしょうがない。のでブログでもかいてみようか、とパソコンの前に座った次第である。特に何か書きたいことがあるわけではない。
来週からまたヒプノの予約も入ってるし、そこでいままでやってなかった事とかにもチャレンジしてみようかと思っていて、本来ならばそろそろそれもつめておかなければならない。
だがなんだか重い腰が上がらないのは今日が新月前だからだ。そういうことにしておけ。
普通、人はどういう理由で働くのだろう。私は仕事は一応している。ヒプノもそうだし、また他にはピアノを教えている。仕事だと思ったことはないけれどお金を頂いている以上仕事なのだろう。でもそれは私はお金が欲しくてやったためしがない。たまたま教えられそうだから教えてるだけであって、お金は特に欲しくない。なので自分の余暇以上の生徒数がこられてしまうと困る。お金が欲しいならば、他のものを犠牲にしてでも教える仕事をするだろう。でもお金が欲しくない人間にとって、他のものを犠牲にまでして教える理由などどこにもない。しかし子供相手に無責任なことはできないので、一度受け持ったらどこまでも面倒見る気でいる。それはお金とか仕事というよりも、むしろ責任感のようなものだ。
水曜日のシータ派リーディングでわたしのヘリオをリーディングした時に、皆さんのビジョンを聞いてとても興味深かった。ある人は、私が関東地方にビスを打つというビジョンを見た方や、ボーリングを投げて地上に落ちるインパクトを狙ってるという話や、月に囚われた人たちを開放しに行くという話などがあった。 
一人の方はわたしが地球活動ができない、というような話をしていたが、私はそれは何かその人の私情でも入ってるのだろうと思った。というのは、地球活動ができない人など、この世にいないはずだからだ。地球活動ができない人は地球にそもそも来ない。たとえどのような困難があろうとも、人は何かの使命があってやってきているはずだからだ。階層の低いところでビジョンをみれば、人はそれぞれ某らの困難さがあるだろう。でもヘリオという大きな視点で見たときに、そういう困難さをビジョンでみるのはなんともお菓子な話だ。 私は一人でこの地球に来たわけではない。そのクラスター全員の使命というものの匂いをヘリオのチャートからは嗅ぎ取るべきではないだろうか。私が一人で何かをしようと思ったらそれは、色々と難しいだろう。だが私は一人ではない。私の後ろには多くの先祖たちがいて私はただ、そのコマンドの一部にすぎないのだ。
私のジオセントリックのホロスコープでは、今年は働く感じだ。でも私は、私という一個人の理由で働くつもりはさらさらない。もし先祖が願わなければ私は何一つなし上げられないだろうし、また先祖が願わないことは、もともとしなくていいのだ。ここでいう先祖とは、血筋とか血縁とかではない。何千年と脈々と流れる人類全体の先祖だ。
MIXIのニュースに若者が友達がいない、というニュースがあった。友達はいない、と。 私は思う。友達は一人いると良いよね。それ以上いらない。でも一人いるといい。 いつでも、一人だけ、自分の心を打ち明けられる人がいるといい。打ち明けられなくても、馬鹿な話を聞いてくれる人が一人いればいい。
私は小さい頃から友達は一人主義で、大勢で遊ぶことはまずしなかった。小学校の時仲良かったたった一人の友達はもう他界した。 中学校の時の親友も他界した。高校の時の親友は生きてるけど海外に行ってあんまりかえってこない。大学の時は友達はいなかった。 私は成人してから3年~4年くらい全く誰も友達がいない時期があった。毎日マントラとか唱えてるだけの時があった。ある日ある時おもった。 誰か友達が欲しいと。なんでもいいから話ができる人が欲しいと思った。心の底から願った。これではどうにかなってしまうのではないか、と。そうしたら友達ができた。
その友達ももう他界した。
死後探索をしていると、色んな人に出会うが、それらの友人に会いに行ったことはまだない。
今日は親友を尋ねる旅でもしてみようか。
現実的なことには大変腰が重い私であるが、精神だけは嬉々としてお出かけモードまっしぐらなのであった。
嗚呼、やることはいっぱいあるのに、暇で暇でしょうがない。

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