直感的なホロスコープ解釈

いろんな方のホロスコープをセッションで見させてもらうことがある。ヒプノセッションには別にホロスコープ鑑定というのはついてないのだが、なんとなく今後どうやって生きていこうか、とか、どんな資質があるだろうか、というような話に及ぶと、ついつい興味がでてホロスコープみせてもらっていいですか?という話になり、見せてもらうことがある。
これは私の主観なのでプロの占い師さんからは文句が出るかもしれないところだが、
MCというのは従来の占星術の本には「その人の社会的立ち位置」なんて書いてある。でも、私が感じるのは、これはあくまでも私の直感的な占星術解釈というか、我流なのだが、(私にはそういうものが沢山ある)
MCというのは社会的立ち位置であることは少なく、むしろその人の人生目標のように感じる。エドガーケイシ―はMCは人が中間世からこの世に降りてくるときのその中間世の最終結果という言い方をしているそうだが、この世で生きてその後、その中間世に戻るための扉とでも言っていいように思う。
つまり、この世の人生目標であることが多い。その人の最終的なこの世の願望だ。こうありたいと強く願っているそのポイントと言える。そこを人生目標にしているんだ、ということが、どんなに隠しても匂いとして漂ってくるものがあるのだ。どんなにスピリチュアルな話をしている人でも、このMCがあまりスピリチュアルでなければ、たぶんそれはその人の人生目的ではないな、という匂いがする。いや、これは批判とかではなくて、ただ、そうだ、というだけだ。今回の人生目標が別にスピリチュアルでなければならない理由はない。その人の役目も使命もそれぞれであって、そうしてこの世は完成されている。誰もがなくてはならないピースである。
私はこのMCがおとめ座の29度。書類から秘密の知識を得る男だ。そこが私の人生目的であり、中間世への扉なのだと思っている。
あと、なんとなく思うのは、西側に主流な天体がある人(太陽とか月とか)は、本人は一人で何かをやりたいと思っていることが多いのだが、周りの人に大事にされたり人間関係に恵まれたりしていて、そのためになかなかそこから抜け出れないという人が多い気がする。逆に、私のように東にしか天体がない、とかいう場合、本当は誰かと組みたいとか誰かに大事にされたいと強く思っているにも関わらず、一人でやってくださいね、というような環境にいきなりぶち込まれることが多い。
どちらがいいか。。東側天体集中の私としては西側天体がうらやましい。なんか楽しそうだし。いいなぁって思う。私にも誰かそんなサポートしてくれる人いないかなぁ、、とか思う。笑。
でも、結局、何もかも一人でこなすしかなく、結局は何もかも一人でやるのだ。ある種、しょうがないからそうしている。
要するに東側の人は、一人でやりたいなんてサラサラ思ってないし、西側の人は誰かと一緒にやりたいと思ってない。 というのがポイントだと思う。
今までの占星術の本だと、東側の人は一人でやってく人だ、で終わっていたと思うが、その人の願望は別だという記述はなかった。そこに「本人の願望が逆である」という記述を入れてほしいと思う。
できることと、その人の願望は、ほとんど別だと思っていい。
でも、こういう変な発見をたくさんためていって、いつか谷原流ホロスコープ解釈とかいうキンドル本でもだせたらすごく嬉しい。たぶん、10年後とかだと思うけども。
追記・・
五月のご予約満席となりました。ありがとうございました。
4月10日ごろ、6月の予定を出しますが、
先に、一番いい日時を確保したい、、なんて思っていらっしゃる方はメールください。
今の所、だいたい空いています。
クライアント様に「最近、お忙しいみたいですね」と言われると
「いや、一時的なものです。すぐに誰もこなくなりますから」とか栗原類君みたいなことを言ってしまう私です。
ですが、一つ一つ心をこめてセッションさせていただいています。
私としては、この地球脱出への道を今後も探りたいと思っていますが、
皆様それぞれの、自分の使命、役割を全うするお手伝いができたら、これ幸いです。
それが、一番の、近道です。人生に近道はない、という話もあるけども、
いや、近道はあると思います。
それは自分の役割や使命を知ることだと思います。

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