超然と生きる

人って、確かにいろんな人間関係の中で生きてるし、他人は無視できない。

しかし、自分という存在にフォーカスすれば、他人はおのずと理解できる気がする。

例えば、人間関係で、友達が自分のことをどう思ってるか気になる、なんてこともあるだろう。

「Aさんは私のことどう思ってるのかしら。」

確かに、Aさんと人間関係があるならば、気になるだろう。

でも、私はあえて思う。

Aさんが自分をどう思ってるか、というのは自分にとってそんなに大切だろうか。

むしろ、自分がAさんをどう思ってるかが、私の現実であって、大切なものだ。

Aさんの気持ちなど、自分がどうにかできるわけもないわけで、

どうにかできるわけもないことをあれこれ気に病んでも全く不毛だ。

Aさんが内心、自分のことをうざいと思ってたとしてもそれは相手の問題であって、

自分の問題ではないはずだ。

相手が自分をどう思おうが、どう感じていようが、

私は私であって、それ以上でも、それ以下でもない。

人の評価がどうであっても、自分の本質は変わらない。

他人に褒められても、自分の魂がレベルアップすることはないし、

他人にケナされても、自分の魂のレベルがダウンすることもない。

私の魂は他人の評価とは関係のないところで、超然と存在しているはずだ。


私は信じているんです。

自分の能力とか才能とか性格とかじゃなくて、

自分が「正規の生命体」だということを。

自分が、自分という存在を作った大きなものの一部だということを。

野生の鳥は自分の存在を疑わないでしょう?

生まれたことも、

この世界の存在も。

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