ビジョンの本質はどうしたらとらえられるか

昨日は朝からなぜかわくわく、うきうきして、その理由はわからず、根拠のないわくわく感に支配された。それは昼間は減少していたのだが、(というか昼間は神経に触るようなイライラするような作業を延々としていたので、貧乏ゆすりをしないでは作業ができない状態であった。)しかし、夜寝るときにはまたそのわくわく感に支配され、あんなにわくわくと眠りについたのは久しぶりだと思った。いやー、こんなにわくわくするならヘミシンクを聞いたらどうなるんだろうと、ヘッドフォンをつける段階からわくわくした。案の定、ものすごくビジュアルが美しく、二人の非物質界の人物に出会った。その人との印象を集めているうちにどこかの段階で寝たので、詳細は覚えていない。覚えていることも重要だけども、覚えていないことも時にはいい。覚えていないことは、人はより強く支配される。コントロール外と化して、より深く影響を与えてくるのだ。それも時にはいいだろう。そのうちたぶん、思い出すだろう。
ビジョンを見たり感じたりしたときに、それがとても嘘くさいと感じるときは、それはそのビジョンに入り込んでいないからだ。ビジョンというのは多くの人が、あちらから圧倒的な力でやってくるもの、と思っている人が多いのだが、そうではない。自分から能動的に飛び込まなくてはいけない。それは感動を持って飛び込むのだ。この感動を持って自ら飛び込む力の部分がなければ、ビジョンはただの薄い情報にしか感じられない。
それは、例えば、貴方がピアノの演奏をしようと思った時に、楽譜をみて音符だけを追って弾いたとしてもそれは音符を並べたに過ぎない。その音楽に血肉を与えるのは演奏者が能動的にその音楽に飛び込んだときだけである。そうしなければ、その音楽の本質は現れない。
これと同じように、ビジョンに感動をもって自ら飛び込む能動性がなければ、その本質は理解できないのだ。
それは音符を並べた情報と同じ。その本当の音楽の質は、感動を持った時にその音楽の本質が忽然と現れる。
ビジョンもしかり。感動をもって能動的に飛び込んだ時に、その本質が忽然と現れるのである。
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