ハートチャクラについての考察

9月22日の惑星ヒプノ講座、満員御礼ありがとうございました。
ご検討されていた方々、また次回にぜひともお越しください。
この講座は松村潔先生のインテグラル・ヒプノをベースにして考えています。
全然関係ないのですが、私は、この26000年単位を見据えて行う、
このインテグラル・ヒプノというものを考えると私はなぜか、
Buck-Tick の 「超人は千年の夢を見る」というその一節を思い出します。爆
先生、超人だよな~と思うんですね。爆爆
そしてこれは千年どころではない。2万六千年。
超人×26
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昨日のチャクラ・アテイメント講座では第四チャクラ(ハートチャクラ)についての講座でした。
私の勘では、このハートチャクラの状態が、脳波をどこまで落とせるかというのにかかわっている気がします。
脳波を落とさないと、正確なビジョンを受け取りにくくなるわけですが、
脳波を落とすというのは、とても自己と他者を信頼していないとできない事です。
脳波を落とした状態というのは、とてもリラックスした状態です。
この状態になれるかどうか、というのは「自分への信頼」「他者への信頼」という両方が必要になるように思います。
要するに「いつ攻撃されるかわからない」などといった緊張感があれば、絶対に脳波は落とせない。
もし攻撃されても自分はそれを余裕でかわせる、という自己信頼が必要だし、
攻撃されても、決して私は何も失わないという、この世界への信頼も必要。
よく、宗教的な本では、「自分力を手放して、すべてを神に委ねよう」というようなことが書かれています。
それは私も、自分の人生をかけて(というのはオーバーですが)実践してきたので、
その素晴らしさと至福感というのは実感認識として体感理解していますが、
でも、一度自分力を手放すことができるようになったら、また自分力を自分に引き戻すことが必要だと思います。
「私は私ではない・・でも私である。」という感覚。
そこに矛盾を感じないようにならないといけないのだと思うのです。
ですから、今までの宗教は片手落ちなんだと思うのです。
キリスト教的な思想では、自分のエゴを捨て去ることを要求します。
それはヒンズー教であってもそうです。
私たちの歴史は強烈な自我と、それを捨て去れ!という教義の中でもがいてきた。
捨て去れよ!と言われなければ捨てられない程のエゴを人間が持ち合わせてきたのかもしれませんが、
でも、本当はエゴを捨てつつ、エゴを最後までもち続けなくてはいけない。
その両軸が矛盾しないようにならないといけないのではないか、と思うのです。
インドの叙事詩バガヴァット・ギータの中でクリシュナ神はアルジュナに言う。
「戦え!」と。
gita2.gif
この瞬間こそが、「自分と世界」この両軸が両輪が走る瞬間ではないかと思うのです。
この絵もなかなか象徴的だと思います。
神が運転し、その神はアルジュナに言うのだ。
普通に考えれば頭がおかしくなるほどの矛盾を包括していることを神は言う。
話が脱線して来たのですが、もとに戻すと、
自分を手放せるほどの世界への信頼を抱くには、圧倒的な自己信頼も同時に必要だということです。
その両軸が必要ではないかと思うのです。
そして、その両軸の完成が成立して初めてハートチャクラは開かれるのだと思うのでした。

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