願望実現?

今日はインナーチャイルド・クレイドルがあります。
六本木で皆様にお会いできるのを楽しみにしています!!
前回は猛暑の中、お集まりいただいたのですが、
今日はだいぶ秋めいてきました。
瞑想するにはぴったりな感じがしますね!!
9月22日の惑星ヒプノ講座にキャンセルがでましたので、一名様募集いたします。
こちらからどうぞ☆ 
↑満席となりました。ありがとうございました。
最近、私は自分で自分の前世を探索しに行っています。
いや、誰かに誘導してもらった方が、もっとよく見れるし体感できるのですが、
なかなか毎月行くとかも大変ですし、
なにより、ヒプノはどこもお高いですよね。
なかなか毎月行くとかいう気分になれない。
自分がヒプノセラピストをしていながら、そんなことを言うのはどうかと思いますが、
なかなか、気軽にいける値段でなかったりします。
なので、自分みたいなヒプノセラピストが身近にいないかなぁと良く思います。(←)
・手ごろな値段で
・セッション時間も余裕があって
・見たいところへ連れて行ってくれる(セラピストが制限しない)
みたいな人ですね。
でも、なかなか探せないので、
自分で自分を誘導しています。笑
しかし、なかなか集中力が入りますね。
気合をうんと入れないと見れない感じです。
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昨日の松村先生の雑記に
「精神世界で、内面をみましょうというのがあるけど、自己の内面を重視すると、エゴが強まるだけで、死後神にはならない。」
と書かれていました。
なるほど、そうですよね、と思った谷原です。
その話から思い出したのですが、ヒプノでは未来世療法というのがあります。
自分のちょっと先(2年後とか5年後とか)の未来を見てくるというものです。
私たちの内面には自分の願望のすべてがつまっています。
ですので、この未来世療法をすると自分の願望だけが噴出し、
バラ色の未来を見てくることがあります。
しかし、ビジョン視をするときに、それが自分の願望なのか、
はたまた本当に高次の存在からのメッセージなのか、
どちらだろうか、という吟味は大切のように思います。
もちろん、願望実現をするには、ヒプノなどでのビジョンをみる領域に入って、
そこで自分の願望を体験してくるというのは、とても有効性があると思います。
そこでリアルに願望が叶っている体験してくると、それが実現化する可能性が高くなる。
これは本当にそうです。
しかし、その願望を実現するよりも、よりもっと大きな使命があるとか、
よりもっと理解すべき悟りがあるとか、
そうした場合は、その願望が叶うより先に、そちらの問題へ移行させられると思います。
わたしは何度か未来世療法というのをやってもらったことがあります。
その時にいろいろなビジョンをみましたが、
自分の願望をビジョンとして作り出そうとしている自分、そうした自分の圧力を感じて、
これはうまく見れないな・・と感じました。
しかし「これは自分の願望かも。ねつ造かも」と思ってたビジョンが、
実際の所は、わりとその通りに動いてるのも事実です。
じゃぁ、エゴのままどんどん自分のビジョンをねつ造して見ていけばいいのか・・・っていうと
それは多分、どんなにねつ造しても
先ほど書いたように、より大きな使命があるとか、より理解すべき問題が先にある場合は
その願望が叶うより先に、そちらの問題へ移行させられると思います。
願望実現というのはエゴの極みも多くに含んでいると思うのですが、
願望を実現するには、視点を高く持つということがとても大切のように思います。
例えばAさんが好きで、Aさんと結婚したい。
この時にAさんとじゃなきゃいや。。という願望はできるだけ捨てたほうが良いです。
それはAさんの選択を無視した願望だからです。
そのように自分の思いで誰かを縛ってはいけません。
こうした場合もっと視点を高くした願望を描いたほうが良いです。
例えば、「私は結婚して、魂の向上をめざしたい。」というような願望にしたほうが良いです。
結婚生活って苦行だと思うんです。
自分と違う人と共に生活するのは本当に苦しいことです。
全てが独身時代のような自由になりません。
どこにも自分の自由になる部屋もなければ、空間もなければ、
食べ物ひとつ、買い物一つさえ自由になりません。
そのような生活が、どれだけその人を精神力を向上させるかは計り知れないものがあります。
わたしの知人が言っていました。
その方は、高級な老人相手の介護をしています。
高級なんだそうです。
かなりの資産がなければ受けられないような高級介護を仕事にしています。
その方の話では、ご老人になって、介護が必要になった時に、
一度でも結婚したことがある人は全然違うそうです。
一度も結婚したことがなく、かつ立派な職業をされてきた人の介護は大変だそうです。
とにかくわがまま&人の気持ちがわからない。何をされてもしてもらって当たり前。
その方は、「離婚してもいいから一度は結婚するべきだと私は思う。」と言っていました。
「人格の熟成度が全然違うんだ」と言っていました。
それはあくまでもその人のご意見です
実際の所、結婚しなくてはいけない理由はないですし、
人生はそうあるべきだという型はありません。
それぞれの人が自分の思うように人生設計していくべきです。
ただ、わたしが今その話をしたのは、結婚生活というのは
そのくらいの影響力がある「修行である」ということです。
そして、そうした苦労を全部引き受けるんだという、心構えがあってこそ
願望というのはかなうのではないかな、と思うのです。
なんて言いますか、ガイドとか、高次の存在は、
私たちの覚悟の度合いをはかってると思うんです。
覚悟がないな、とおもったら願望はかなわない。
願望には楽しみだけではない、それと一緒に付随した沢山の犠牲とか、
沢山の苦労した時間を内包している。
そうしたこと全部引き受ける覚悟がどのくらいあるのかということです。
昨日「他人の評価とか、相手がお腹の中で思う事が怖い」という話を友人から聞きました。
確かに何かをすれば、それに対して、みんなが色んな事を思うでしょう。
でも、それは自分には関係のないことです。
人が心でどう思うかなど、自分とは全く関係のないことです。
それは私たちの妄想や願望が無限なように、
人の思いなど、無限な幻のようなものです。
そんな幻のようなものを見つめていても、それらには姿も形もありません。
恐れても意味のないことです。
大切なのは、自分がどこまでできるのか。何ができるのか。
出来ることを精一杯やれたかどうか。やる覚悟があるかどうか、なんですね。
それで相手がどう思うかとかは、相手の問題なのです。
それを自分の問題にしてはいけない。
大事なことは自分の生を大いなるものにぶつけていくという事です。
その時に、他人の腹の具合など気にする人はいません。
そんなちまちました所を気にしている時は何もできません。
仕事をするというのは、
ガイドの導きに素直に従い、自分の命をぶつけていくという事です。
結婚しても、みんなが祝福してくれるとは限りません。
周りの人はお腹の中でいろんなことを思うでしょう。
相手だって、「本当はもっと他の人と結婚したかったな」とかお腹で思ってるかもしれません。
しかし、それはあなたにとって重要なことではありません。
大切なことは自分の覚悟なのですね。
実際に結婚生活が始まった時に、
人と生活するってこんなに大変なのか、と愕然としたときに、
自分は自分を向上させるためにここにいるのだと、思えることが大切だと思います。
あなたの人生は誰のためでもない、自分のためのものだということです。
私のための結婚生活であり、私の向上のための人生なのだ、ということです。
自分の人生を通して、私は私を向上させるのだ、という強い意志こそが
願望実現への一歩ではないか、と思うのです。
リスクを恐れているときは、絶対に願望はかないません。
覚悟なく恐れているときは、ガイドは絶対にあなたを導かないからです。

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