自分の使命とは狂った猿を手なずける事

日常に戻ってきました。
以前、船橋サロンにおこしになられた方に
「ふなっしーのグッツはどこで手に入るんですか?」
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と聞かれて、
私は家とサロンのルートを往復してるだけで、
店に入ったことがほとんどなく、
どこに何の店があるのかわかっていないため、
「ふなっしーのグッツ!? わかりません!」としかお答えできなかったのですが、
朗報でございます!!
昨日、お越しになったお客様が、
船橋のヨーカドーに売ってたのを先ほどみた、というご報告がございました!!
是非、ふなっしーグッツを手に入れたいという方、船橋駅前のヨーカドーにお寄りになってみてください。
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人間ってどんなことをやっても、どんなに好きなことをしていても、
どんなに、これが使命だと思う事をやっていても、
かならずどこかで、疑問や疑念が湧くタイミングってあると思います。

これでいいのだろうか・・なんて思いが湧くものだと思います。
興味がないことは続かないですし、興味があっても、それが仕事になれば、
仕事をするという上でのいろんな気の使い方や雑務がありますね。
趣味と仕事では全然ステップが違います。

そして趣味でやっていたようなことが、仕事というステップに上がった時に、
例えばロックが好きで趣味でギターを弾いてた人が、
それが仕事になったとして、デビューを飾ったとします。
最初はそのこと自体に感動があったと思いますが、
段々そのことにも慣れてきて、感動はなくなってくる。

そして、今まで考えもしなかったような問題が浮上してくる。

それは
「いかに売れ続けるか」とか、「いかに良い曲を書き続けるか」とか、
「いかにレコード会社や事務所とコミュニケーションとっていくか」とか、
「いかにファンとコミュニケーションとってくか」とか、
「CDジャケットの絵はどうする?」とか
今までは音楽しかやってこなかったのにそういう仕事もでてきます。

これは自分で仕事をしようと思ったらどんな仕事でもそうですね。

ビーズアクセサリーを趣味で作ってたけど、これから仕事にします、というような場合でも、
今まではただ好きで作ってればよかったのが、
「いかに梱包するか」とか「いかに宣伝するか」とか、
「お客さんとのやりとり」とか「ブログやサイトにどう載せたら綺麗か?」とか
「写真のとりかたは重要かも!」なんてこともある。
そんな仕事も出てきます。

そして仕事が慣れてきた頃に「これは本当に私のやりたいことだったんだろうか」なんて
疑問が湧くことは普通に起こる。これって誰でも起こると思います。

そんな疑問が湧いてきたときに、
もうそこで辞めてしまうというのも一つの生き方だと思います。

本当に自分に合わないものであるならば、早めに見切りをつけたほうが良いかもしれません。

しかし、自分に合ってるのがわかっているならば、
誰もが、疑問をもつその疑問を感じた時に、
それでも興味と感心を持ち続けた人が
さらなる次のステップに入ってるんだ・・

ということがわかると思いませんか?

霊的世界にいろんな階層があるように、
フォーカス10の世界とフォーカス21では全然違う。

そしてフォーカス21とフォーカス27はさらに違う。

惑星領域と恒星領域では全く違う。

そうした階層があるように、
この世での生きてる、この生きるということにおいても
沢山の階層があるんだと思うんです。

これに興味があります。趣味です、という段階から

これに興味があります。仕事にできました、という段階。

これに興味があります。仕事としてし続けてます、という段階。

これに興味があります。仕事として自分の体系をつくってますとか、古株として自分のポジシ

ョンがあります、とかいう段階。

これに興味があります。自分のしてきた仕事を出版社から出版しました!などといった段階。

さらに、大御所です、とかいう段階。

それぞれの段階で見てる景色は全く違うと思います。

何かをなして、大御所となって極めてる方に私が尊敬の念を抱いてやまないのは、
生きてる階層が違うからだと思います。

見えてる景色が全然違うからだと思います。

今いるより上の階層に行くには「し続ける」という行為なくしてはたどり着けないと思います。

し続けるには自分をコントロールしなければなりません。

人の心は常にさまよい、まよい、狂った猿のようです。

私は、それを躾けるということこそが、人間の使命なのではないかと思うのです。
私の使命とは何か?という疑問は誰もが持つものですが、
それは自分の中にある狂った猿をいかに手なずけていくか、という問題だと思うのです。

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