パラオの聖フランチェスコ

先日、アッシジの聖フランチェスコの話を書いたが、
リストはアッシジの聖フランチェスコの曲と
もう一つ、
パオラの聖フランチェスコの曲を書いている。
実はこのパオラの聖フランチェスコのことを私はよく知らない。
とりあえず、今手持ちの資料には
アッシジのフランチェスコの没後約200年後に生まれた人で、
イタリアのパオラで生まれた。
パオラ近くの海辺の洞窟で隠世修道士の生活を送るようになり、
ミニム会(最も小さな兄弟)と呼ばれた托鉢修道会へと発展させた。
特に心を読みとるという霊的な力のために有名になりました。
とある。
心を読み取る・・・らしいです。
汚い身なりのために船に乗るのを拒否されて、
マントに乗って川を渡ったという伝説が残されています。
img30c2d169zikezj.jpeg
その絵をリストが所持していて、
この<波を渡るパオラの聖フランチェスコ>の曲を作ったとあります。
パラオの聖フランチェスコはリストの守護聖人だったようです。
<小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ>の曲より
パオラのほうが曲はかなりドラマチックです。
リストが最後までとても大切にしていたというこの
パオラの聖フランチェスコの曲。。。


リストの曲というのは不思議なもので、
こうして聞いていると、そんなに感じないのですが、
楽譜をみると、とても単純な感じがします。
和声の響きがとても単細胞な気がします。
ラフマニノフもそういう傾向がありますね。
シューベルトやバッハはゆっくりと歩いて小道にさく花々を愛でながら歩く感じがありますが、
リストは馬や馬車に乗っていて、そんなものよりもっと目的はこっちなんだ!!みたいな
視点と目線の違いを感じます。
でもこうして全体を聞くとそんな単純に聞こえないのがいつも不思議なんです。
ラフマニノフもそんな感じがします。
でも、楽譜をみて、ゆっくり弾いてると、ちょっとドン引きするほど、単純だなーと思ったりするんですよね。
なのに、全体ではそうは聴こえない。
どういうトリックなんだろうとかいつも思うのです。
と思ったら楽譜を見ながら聴くという動画がありました。

右手の和音とか、えええーとか思ったり思わなかったり。。
シューマンとかだとどんな小さな曲でも、こんな単純な和音は使わないというか。
いや、でもこれでいいんだよな、と、
これでいいんだ、と思うに至るまでに、ちょっと葛藤があったりします。
途中はとっても難しそうですね。
単純でもオクターブで、ハイスピードで音階とかやめてほしいですね。
和音で半音階とかもちょっと。。。
演奏するのは大変です。

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