体験せよ!

今日は満月なんですかっ!?
昔は満月というと、吸血鬼・・とか
満月は犯罪が多いよね~とか、
そんなイメージしかなかったものだが、
いまはそこここに「今回の満月の意味!」
というような話が巷で話題だから、すごい。
俺たちもずいぶんと宇宙と親しくなってきたもんじゃないか。
天体配置でその人との関係性とか相性とかわかったりする暁には、
おいおいおいおい、これって、天体だろ?
俺さまは天体配置なのかよ!とかツッコミを入れたい。
ツッコミを入れつつ、なんだか、
この世の仕組みの真理の一辺を見たかのような気分だ。
この私という存在が、宇宙のウニウニしたエネルギー体の一つのカラーで、
宇宙のエネルギーの断片こそが自分の魂の本質で、
ちょっとこの身体にはってみたよ、みたいな感じだなとか思ったりなんかして。
そうして、私はこの身体を簡単にすり抜け、
I/There へと向かうのだ。
私は若いころは長らく深い精神修行生活を続けていた。
朝早くおきて祈りをささげ、瞑想し、マントラを唱えていた。
20代の頃は、何度もインドのグルのところへ行ったりしていた。
20代の私が興味あったことは、神と自分、そのことだけだった。
宗教団体とは全く関係ない、と一応お断りしておく。
神は言葉でも教義でもなく人でもなく「体験」なのだ。
この体験をした人は、どこまでも自分に正直だ。
自分に正直であることこそが、この体験を支えるからだ。
エゴも見栄も虚栄も、全く意味がないことを「知る」からだ。
もし、自分の人生を成功させたいのならば、
(成功とは昨日も書いたが、ビジネス的成功とかではなく、
自分が自分らしく自分を体現すること。
自分とは何者で、何をする人間かということを自分で知り、
この世に表現できること)
もし、自分の人生を成功させたいのならば、
・人を傷つけない事
・見栄を張らない事
・嘘をつかない事
あたりまえだけど、こうしたあたりまえのことこそが一番大切だ。
神は言葉でも教義でもないけれど、それを体験すると言葉が出てくるのだ。
これが様々なトリックというか、卵が先か鶏が先なのかという、
でもそれがとても重要でどちらが先がが重要だったりする。
私は言葉からではなく、体験から入るべきだと強く思う。
体験をすれば、こんな言葉はいらないのだ。
そして自然と虚栄などというものは無くなる。
自然と誇りが湧いてくる。
自分に誇りがある人は、人を陥れたりしないし、見栄を張らない。
宇宙と親しくなってきたけれど、
宇宙を体験するその体験はまだまだ少ない。
体験せよ!
宇宙はそういってるんだよね。

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