ヒプノで見るビジョン

ヒプノで見るビジョンは、
「こんなもんなのかな?」という感想を抱く人がいる。
ヒプノスクールでは
「それはその人の催眠性の深さのレベルによるもので、
催眠性の高い人は多くの体験をするし、
催眠性が低いと体験できない」
というような説明を学校では受けた。
確かにそれはあるだろう。
身体の肉体感覚を使わずに、見たり聞いたり味わったりということは、
慣れないうちは簡単ではないのかもしれない。
私は、それに付け加えたいのだが、
電車マニアを例にとって説明したい。
電車を見て「おおおおお!!」と感動するのは電車マニアの人たちである。
電車マニアの人でなければ、いちいち電車をみて「おおおおお」とは思わないので、
それはとても無感動な日常の一コマでしかない。
電車に必要以上のリアリティを感じたりしない。
それはぼんやりとした、乗り物にすぎない。
しかし、しかしだよ、電車マニアの人は、その電車をみて感動しているのだ!
その電車は鮮明で、感動的で、細部にわたって、どこがどうなのかの違いがわかり、
全身鳥肌ものの大きな体験なのだ。
これはビジョン視にもいえることなのです。
ビジョン視マニアでない場合、そのみたビジョンは
必要以上のリアリティを感じないかもしれないし、
ぼんやりとした、妄想のような一コマでしかないかもしれない。
しかしビジョン視マニアはその一コマを感動を持ってみているのだ。
私は子供の頃からビジョン視マニアだったので、
最初にヒプノを受けたとき、誘導されてビジョンがみれることに、
「前世にいきましょう」と言われて、
意図したままに前世が見れるということに
エライ感動した。
ビジョンが出てきた瞬間に感動の嵐で、鳥肌と号泣で、
誘導者がビビり、
そんな状態になるのは良くないからといわれて、すぐに出されてしまった経験がある。
これは私がビジョン視マニアだったから、そういう体験をしたのである。
ビジョン視マニアは意外に沢山いる。
だいたい音楽をやってる人は、ほとんどこのビジョン視マニアだ。
音楽を奏でながら、いろんな風景を見ていることが多い。
漫画家さん、イラストレーターさん、小説家さん、などといったクリエイターさんたちは、
絵を書いたり小説を書いたりしながら、
ビジョン視マニアであることがほとんどだ。
こうしたビジョン視マニアは、ビジョンが見えたというだけで感動する。
その事へのセンサーが人の何倍もある。
電車マニアが、ちょっといつもと電車のブレーキ音が違うだけで、電車の調子が解るように、
ビジョン視マニアは、何かちょっと見えただけで、
そのことから受ける啓示は何倍もある。
「ああああ!!こういう意味だったんだぁああ!」
と一人でのたうちまわって感動している。
知覚講座なのでも、必ずそういう人がいる。
周りの人には、その感動がわからないことが多い。
なんか、劇的な体験をしたんだな、というのが伝わるだけである。
なので、周りの人からは冷めた目で見られちゃったりなんかしちゃったりもするのだが、
そんなことは気にしてられないさ!
その劇的な体験は必ず、何かに変わってこの世に出現してくる。
心の深いところでおきた体験は、必ずいつか現実界に表出してくるのだ。
ヒプノ体験が深いものになるかどうかは、
あなたの感動度による。
私はヒプノで誘導されて、自分の靴が見えただけで、
それだけで号泣してしまった。
「これだよ、これなんだよ」という涙だ。
やっと思い出せたという感動は筆舌に尽くし難い。
それは誘導者が演出できたりはしない。
ときどき、演出する誘導者もいる。それは知っている。
だが、それはどうだろう。
私はそれは何かが違うと思っている。
だから、私は必要以上の演出はしないし、
クライエントさんが見えたもの、感じたものを
その分量だけ受け取っていって頂けたらと思うのだ。

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