EFT体験記・最終

人生に意味を持たせる必要がないと知った私は、

そこから、まるで子供のような日常を取り戻した。

ただ、私は自分の興味の赴くままに生きたらいいのである。

自由にしていていい。

無邪気な子供の頃のような自分を取り戻した。

しかし、私はそこでまた次の啓示を見たのだ。

 

それは圧倒的な意図だった。

 

ここから先のことは、私はまだここに書けるほど、まとまっていない。

ここから先に見たものを、まとめるためには、

いろんな資料も読んでみたい。

いままでなら、読んでもわからなかった本が、

今ならわかるような気がする。

私はまるで孫悟空のように、自由に飛びつづけ、しかし、

それがすべてお釈迦様の手のひらの上だったことを知ったのだった。

 

しかし、それは以前は知らなかった広さと奥行きをもって、

実感認識と体験をもって、今、自分の目の前に広がっている。

また後程、この先を書いてみたいと思う。

 

この圧倒的な意図についてお届けしてみたい。

 

人生に意味はない。それは真理であり、真理でない。

意味はない。けれども意味がある。

意味があるけれども、意味はないのだ。

それは螺旋で、

言葉の意味も螺旋なのだ。

このことについては、今はうまく言語化できそうにない。

連続でお届けした、EFT体験記はひとまず終了なのだ。

お付き合い、ありがとうございました。

 

 

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