感じるままにしてはいけない。

人の中にはいろんな自分が住んでいますね。
それは松村潔先生のインテグラルヒプノに書かれてるような、
七つの前世、七つの自分という風に考えると、
整理できるかもしれません。
七つの自分がいる。
場面に応じてどの自分にスイッチを入れるかというのは大切だし、
ある一つの自分にだけ大きくフォーカスすると、
なんだか道を誤るような気がします。
それはある一部の自分でしかないし、
一部の側面でしかないのに、
それがすべてである、自分はそれである、と思う事は
大きく真理から外れてしまう気がします。
それは自分の一部である、というのが本当だと思うのです。
菊地さんの話が最近でてますが、
そう、それは菊地さんが私に教えてくれたことのように思います。
悩みを解決するのが問題なのではなく、
人には沢山の側面があって、
それがすべてではないと思うことが大切だと、
菊地さんが私にそうおっしゃっていました。
そうだなと、私も思いました。
だからといって、その一部を軽んじるべしと言っているわけではないです。
右手がなければとても不便です。
私は右手ではないけれど、
それは私という存在の大事な一部をになっていて、
それは大事だけども、全てではないという事です。
では自分はどこにいるのか。右手にいるわけではない。
ではどこにいるのか。
本当の自分はどこにいるのか。
私はここ2週間くらい、
口の中が荒れ放題、ボロボロです。
口内炎が膿んでるみたいな感じ。
もちろん、胃が悪いからそうなっているんです。
胃が悪いです。
まともに食べると吐いてます。
これは別に心配いらなくて、
ピアノの試験とかあると試験の後とか必ず、
急性胃潰瘍になっていました。
一瞬にして胃に穴が開く感じです。
でも、いつものことなのです。
穴が開くのも一瞬ですが、ふさぐのもそんなに時間はかかりません。
私は相当に肝がすわっているように演じるのが上手く、
誰もそんなに私が緊張しているとは思わないのですが、
私自身も、「こんなの余裕だよ」という風を演じているので、
余裕のつもりでもいるのです。
しかし、試験が終わってすべての緊張から解放された時に、
一気に体調不良に見舞われるのです。
それが急性胃炎や急性胃潰瘍となって現れる感じでした。
若い時はそうなると、
どうやって治していいかわからないから、
そのまま一ヶ月以上、不調でした。
その不調に同化してしまうし、それが自分のすべてだと思うので、
不調な自分に染まっていました。
今はそんなことはありません。
胃が悪かろうが、口の中が膿んでようが、
それは私のすべてではないですし、
違う自分にスイッチを入れることができます。
どうやったら違う自分にスイッチが入れられるか、
そういう研究はしたほうが良いように思います。
私は最近、昔好きだったもの名前を唱えるとどういう自分が現れるか・・とか
やってみました。(マニアな研究ですみません)
すごく面白かったんですよね。
たとえば体調不良になったとき、
それに身を任せては絶対にいけません。
どんどん悪くなります。
別な自分に必ずスイッチをいれないといけない。
これは癌とかになった人でもそういう事を言います。
私の知人の叔母さんが、末期がんになって、
それまで沢山の治療をしてきました。
でも、ある時、「もうやーめた」と治療と検査をすべてやめて、
北海道に遊びに行ったんです。
もう、なんでもいいや。人生を楽しもう。
そうです、そっちにスイッチを入れたのです。
それからどうなったと思いますか?
治療はやめてますし、検査もしていません。
10年以上たった今、普通に生きています。
治ったかどうか? そんなもの知りません、とご本人。
常識的に考えて、
末期がんで10年以上普通に生きてるということ自体が
普通ではありません。
治ったかどうかはわかりません。
検査もしてないそうです。
叔母さんは、
もうそちらにスイッチを入れることをやめたのです。
自分の関心を向けることをやめた。
私が胃潰瘍になるときの治療法も全く同じです。
胃が痛いと思っても、そこにフォーカスすることをやめるのです。
スイッチを切る感じ。
その現象を分析すること(つまり、なぜ胃潰瘍になるかとか)
そういう分析は必要ですが、
そこに身をまかせることは必要ないのです。
多くの人は、身を任せることはするのに、分析することはしません。
逆なのです。
身を任せてはいけないけれど、分析しないといけない。
身を任せてはいけないけれど、分析しないといけない。
人は自分を感じるままに放置してはいけないのですよ。

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