男女であるまえに人間である

昔、若かりし頃、
その頃に付き合っていたボーイフレンドが、
私の素行に文句をつけて、
女の子なんだから、とか、
女性なんだから、とか
いちいち指摘されて、
ある時、私は、
「いや、私は女である前に人間でありたいのだけど」と言ったら、
「人間である前に女であるべきだ」といわれ、
ええええええええええええええええ
と目が飛び出るくらいびっくりしたことがありました。
しかし、世の中はそれが普通みたいな気がします。
たぶん、私は世間知らずだったのです。
このボーイフレンドと一緒にいることは
大変な苦痛に満ちたものがありましたけれども、
この人とお付き合いしたおかげで、
私はスカートというものが着れるようになったのでございます(爆)
私はそれまで、スカートとか、意味わからないと思っていましたし、
女性として自分を演出するとか、無理だと思っていました。
この人は沢山、牡牛座に天体があります。
水瓶座人間の私からみれば、敵!みたいな感じですが、
非常に勉強させらた感があります。
90度関係は本当に学びが大きいです。
この人は音楽家としてあふれる才能のある人でした。
スカートははけるようになったけれども、
私はいまだに女である前に人間であるべきだと思っていて、
人間であるまえに女であるというのは、
やっぱりうけつけられない気がします。
人は男女である前に人間であるべきで、
そこを目指すべきではないでしょうかね。
この世に生まれようとしたら、
もちろんどちらかに分かれるしかないのですが、
たまたま男だったり、女だったりしているだけで、
「たまたま今回は女性なんだよ」という意識があると、
ならば、女性という機能をつかってできることを体験してみよう、
みたいな気持ちにもなりますよね。
たまたま今回は女性なんだ・・という感覚は、
ヒプノで前世をいくつか体験すると、よりリアルに感じるかもしれません。
男性としての人生を体験したり、女性としての人生を体験したり、
それぞれの違いや、おかれた環境などを体験する。
両方を体験して行った時に、そこを超えた感覚が、
人間としてどう生きるかみたいな部分が、
浮かび上がってくるものがあるのではないでしょうか。
まぁ、しかし、そんな事してどうするの?と言われると・・微妙ですけどもね。
「男女感覚を超えよう」とか誰も提唱しないですから(爆)
そんなところに価値があるというのは、
この世に受け入れられる感覚ではないかもしれませんが。。。。
でも、そこをあえて言いたい気がします。
男女であるまえに人間であるということを。
男女であるまえに自分の人間性に注目するべきだとね。

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