エジプトの女王と女神

昨日は上野のエジプトの女王と女神という展示会に行ってきました。
ネフェルティティはそれまでの多神教を排してアテン神への一神教を推奨していきました。
そのお陰で、それまでの多神教を信じてた人達から、とても反感をかった。
反感を買ってでも排したかった、それまでの多神教っていったいどんなだったんだろうなとか、
日本人の感覚では一神教は危ないから、多神教にしとけよ、とか思ったりします。
ただ、自分の上にあるディスク・統合化された自分・クラスターをみた時に、
自分の直近の、上のディスクはその横に沢山の同じ階層のディスクがある。
多神教は、その横並びのディスクを見て、多神教になるのだと思います。
しかし、その横並びのディスクは、その上にそれらをまとめている一つのディスクがある。
そこをみると、多神教をさらにまとめている一つの神がいるということになる。
一神教とはその神を見ていってるのだと思います。
そうして究極的には、どこか一つの所に集約する。
そこはものすごいエネルギーだろうなと、想像に難くない。
その究極を思えば、究極は一つであり、しかしその一つに多が入る。
1こそ無限と考えるならば、無限と信仰しようと 1と信仰しようと、
1=∞ であるのだから、
どちらも同じ気がしますが、
そこをあえて、一神教にこだわったその理由はなんだったのでしょう。
昨日、上野の美術館で思ったのは、
エジプトの絵や彫り物は
写真でみるよりも、ずっと繊細でした。
線が細い。という言い方があってるかどうかわかりませんが、
繊細で線が細く、可憐でした。
ネフェルティティの娘の像がありました。
頭がデカくて完全に宇宙人でした。汗。
これかぁあ!! みたいな感じでした。笑
この宇宙人から沢山の魂が分割してると思いました。

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