熱く生きようではないか。

昨日は10月のセッションをお申込みいただいた方に
メールをしたつもりです。 つもりです。
しかし、時々、抜けてる時があるのです。
大変に申し訳ないのですが、
もしメールが来てないです!という方がいらっしゃいましたら、
ご一報ください!
時々そういうヘマをやらかしています。汗
本当に申し訳ないと思うのですが、
沢山のメールを一人で扱っているため、
見落としてしまう事があります。
本当に申し訳ありません。
メールが来てない・・と思われた方は、
是非ご一報くださると助かります。
*************
私が人とのコミュニケーションで大切にしていることは、
自分の気持ちをきちんと伝えることと、
相手の気持ちを理解することです。
当たり前のことなのですが、
この当たりまえが、意外に難しいのですよね。
「私のこの気持ち、言わなくてもわかるでしょ?」
それはたぶん、ありえない。
親子でも夫婦でも、ありえないです。
言わなければ、あなたの気持ちは誰にもわからないのです。
あなたの一番のすべきことは自分の気持ちをきちんと相手に伝えることです。
そして、相手がそれを言ってもわかってくれないならば、わかるように言うことです。
私たちは人の面倒を見る前に自分の面倒を見るべきですよね。
その自分の面倒って何でしょう?
それは自分の気持ちや感情をきちんと整理して相手に伝えるべきことは伝え、
昇華しておくこと。これが自分の面倒なのです。
これができないで、他人の面倒は見る事ができません。
誰かの言った一言でカチンときたりしたとき、
頭に来た!と思って黙っていても、
何にもなりません。
それは自分の意識が引き起こす反応でしかないです。
でもその反応は相手にとっても自分にとっても、
とても意味がある。
意味があるから、あなたは反応しているのですよ。
その反応したことを、きちんと受け止めて、
相手に伝えることをしてみるといいと思います。
そうすると、自分がなぜ反応したのかも、見えてくる。
できれば、その部分も相手に伝えられると良いですね。
多くの場合は、自分の潜在意識に書き込まれた準拠枠みたいなもので、
頭に来ていることがほとんどです。
その反応をした時に、
反応した自分が絶対に悪いとか
反応をおこさせた相手が悪いとか、
はたまた、
私は絶対に悪くない、とか、または、
私が悪いんだ・・とか、、
そうしたジャッジでぐるぐるすると、
その奥にある、本当の核心にたどりつけません。
悪いとか悪くないという判断基準を捨てて、
自分の気持ちと、相手の気持ちを整理することが必要ではないかと思います。
それができた時に、初めて自分を知ることになるからです。
それって、すごい事だと思いませんか?
自分を知ることができるんですよ?
奥さん、自分知ってますかっ!?
物事は勝ち負けではないのです。
自分が悪かった部分を認めたら負けたことになる!とか思う人がいますが、
そういう精神では、成長することは困難です。
負けも勝ちもないのですよ。
単にどういう事実がそこにあるか、ということの認識をきちんとすればいいだけのことです。
自分の言い方に問題があったなと思う部分があれば、
それを認めるべきだし、
認めたからといって、
悲しくなる必要も、負けたと思う必要もない。
ただ単に、そういう断面が自分にあったというだけに過ぎないです。
その断面は自分の全てではないし、でもそういう断面があった。
そしてそれは改善の余地がある、ということであれば、
改善すればいいのです。
改善したら、自分は以前よりもっと向上するでしょう?
だから、そういう断面の自分を知ったことに、
私はいつも喜びを感じるのです。
だから、私はどんなことがあっても、
必ず自分で関係性を改善することを試みるのです。
そこには沢山の宝物があるからです。
昨日は、facebookに 生きることを面倒くさがるな!ということを書いてる方がいました。
本当、そう思いました。おもわず「イイネ!」を押しました。
100個くらい押したい気分でした。連打したい気分でした。
そして、
私はやっぱり自分が、松岡修造タイプだなと思います。
「一生懸命生きてれば、不思議なことに疲れない」by松岡修造  
ほんとその通りですよ。笑
「もっと地球は温暖化するべきだ」 by松岡修造
はい。亜熱帯化を求めます!
生きる事にもっと一生懸命でいいと思う。
しらけたら、それまで。
みんな、もっと熱く生きようではないか!

  • このエントリーをはてなブックマークに追加