コア・マテリアルとしての「時間がない感」

もう9月だ。
私は時々ホメオパスにレメディを処方してもらうが、
私のかかっている無慈悲なホメオパスに人生相談をすると、
「スピードが速すぎる」だの、「味わうことをしないようにしている」だの、色々言われるのだが、
得にそんなつもりはないが、人生は短いのだ。急がなければ、間に合わなくなってしまう。
何に?何かはわからないが、それは私がかけている色眼鏡というか、コア・マテリアルなのだろう。
無慈悲なホメオパスというのは、本当に質の高いホメオパスということだ。
人間的な深さがなければ無慈悲にはなれない。
だから、人生相談に、慈悲深さなど必要ないし、いらないのだ。
いや、そうしたものが、いる人もいるだろう。だが私にはいらないのだ。
コア・マテリアルとしての、「時間がない感」は、実に自分の核心へと導く。
それは今生に始まったものではないのだ。
昔に前世療法をしたときに、この「時間がない感」をテーマにした時に、自分のクラスター体験をしたことがあった。
その時は、それがクラスターだという概念すらなかったので、私は地球の外の宇宙船の中にいると思った。
あの時はその前世療法の一回で、一気に、表面的な「時間がない感」が消えた。
そうした感覚は全く癒されたのだった。
しかし、今あるのは、あの時のような、表面的な「時間がない感」とは違う。
一日とか二日とかの単位の話ではないのだ。
今日とか明日とかじゃない。
1年とか2年とかの単位で、時間がないと思ってしまうのだった。
そのうち、10年とか20年の単位で時間がないと思うようになるのかもしれない。
いや、その頃には年をとって、10年単位はもう考えられないだろう。
現実的に人生の終わりを感じているに違いないからだ。
同じテーマで「時間がない感」で、もう一度、前世療法を受けるといいのかもしれない。
たぶん、若くして死んだ人生が多すぎるのだ。
そんなものをコア・マテリアルとしていたら、いつでも早死にしてしまうだろ。

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