みんなちがって、みんないい 

みんなちがって、みんないい
この言葉は私は違うと思います。
え、谷原、偏狭じゃね? と言われるかもしれませんが、
私は偏屈です。
自分でよくわかっています。
ですので、あえていいますが、
みんなちがって、みんないい。
これはとても批判的だと思います。
みんな違う、これは事実です。
でも、「みんないい」と、
なぜここであえて「いい」と判断しなくてはいけないのでしょうか。
いいか悪いかをどうして、みんなが違うということにたいして判断が混じるのでしょう。
みんなが違うことは、 実は、「悪くはないし良くもない」 と思うのです。
なぜ、ここでわざわざ「良い」といわなければいけないのか。
ジャッジしないという言葉とともに、
いつもこの、金子みすずの言葉が添えられるような気がするのですが、
ジャッジしないということは 「いい」というジャッジもしないことです。
みんなちがって、みんな良いという人は、
つまり「みんなちがったらだめなんだと思う人」をジャッジしているということです。
「みんなが違うことをダメと思う人」をダメだと言っているのです。
みんな違っていいと思え!と押し付けているとも言えます。
結局は他人をとても批判しているのです。
そういう人は、「優しく親切な人」しか評価していないのです。
え、意味わかんない? 
わかりますよね?
いや、ここまで読んだ人は、「そうじゃないだろ!」と思う人もいるでしょう。
はい。言葉の綾かもしれませんね。
言葉尻をつかまえて、本質を見失っている意見かもしれません。
でも、無条件に良いと受け止めてた言葉を、
一度こうして疑うという視点も、時には大切ではないでしょうか。
そうすると、言葉の裏にもつ意味や、心理の奥にあるものがすけて見えてきたりします。
それができると、自分の何気ない行動や言葉にも、
その裏の気持ちがあることが見えてきます。
「みんな違っていいんだ!」 と自分に言い聞かせている人は、
心の奥で、「みんなを違って良いと思ってない人」をジャッジしているのかもしれません。
そういうことがわかると、
それは心の体操になります。 
そしてそこに世界で何処にもない自分の哲学の世界が築けたりしますね。
えっと、誤解がないようにおことわりしておきますが、
金子みずすの詩は美しいと私は思っています!!
すずと小鳥とそれから私
みんなちがって みんないい
とても美しい詩です。
すずも小鳥も私も美しく輝いております。
本当に心からみんないいとおもいますよ。

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