自分の地図を開く

人は、漠然とした不安感に悩まされる時がある。
何がどう、とかではなく、
なんとなく、自分がわからない、人生がわからない、
生きてて何になるの?というような不安感だ。
こうしたことは、
人生全体を見渡す目がないから起きる。
自分が今どこにいて、何をしていて、どうなっちゃってるのか、
そうしたことがわからないからおきる。
つまりは地図なくさまようときに起きるのだ。
あなたがもし、地図を全く持たずに、
見知らぬ国に放りだされたら、不安に感じないわけがない。
人生もそれと全くおなじだ。
俯瞰した視点で人生全体を眺める視点がなければ、
それはとても漠然とした不安にさいなまされ、
それはあなたの生命そのものをむしばんでいく。
そこからあなたを救うのは、自分がもってうまれてきた地図や設計図を理解することだと思う。
それがあれば、「おおお、そうだったか」と
自分のもとの道に戻ることができるだろう。
別にそんな地図などなくても、もちろん生きていける。
それで何が悪いの?と言うならば、何にも悪くない。
それはそれぞれの、その人の選択であり、
こうしなければいけないというような理由は何処にもない。
見知らぬ国に放り出されても、
そこで何事もなかったかのように、生きればいいだけの事だ。
見知らぬ国に放り出されても、そこで何もなかったかのように、
そこいらの人に可愛がられて生きる犬猫もいる。
しかし、中には、驚異的な何かに突き動かされて、
自分のもといた場所まで何千キロも旅して帰る犬猫もいるのだ。
美味しいご飯も温かい部屋にも見向きもせず、
自分の元いたご主人のいる場所まで、
身体がボロボロになっても何千キロも旅して帰る犬猫がいるのだ。
自分の人生を、自分の地図を開いて生きるというのは、
そういう種類のことだ。
今日、明日の美味しいご飯や暖かい部屋とは違うと思う。


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