創造性とヒプノ誘導

自分のレベルに対して落ち込むというのは、 
もしかしたら、学校教育の悪の副産物でもあるかもしれない、
と昨日書いたのですが、
こういう記事がありました。↓
スティーブ・ジョブズ「スタンフォード大学に行くよりも、パリで数年間、詩の勉強をすることを強く勧める。」
基本的にクリエイティブな人というのは、前提のある情報と自分の想像力を使って、一つの問題に対して複数の解決方法を導き出しますが、1600人の幼稚園児から高校生を調査したリサーチによれば、幼稚園児の約98%がこの「複数の解決方法を導き出す力(divergent thinking」を持っていたのに対して、小学生は32%、そして高校生に至っては10%しか持ち合わせておらず、人間は教育を受ければ受けるほど、どんどん創造性を失っていることが分かります。
実際、ウィリアム・アンド・メアリー大学の調査によれば、人間の創造性は1990年をピークに低下しており、中でも幼稚園から小学3年生までの間の衰えが一番激しいと報告しています。↑いつの日か自分の頭で考えるのをやめてしまう。
なるほど。
これは子供は悲劇ですよね。
子供には何の罪もない気がします。
素直で従順な子供であればあるほど、
大人から与えられた課題を忠実にこなしてしまいますでしょ。
私とかは、小学生の時は学習障害者でしたから、
課題をこなすとか全面拒否という感じで、
自分の創造性の脳みそを死守するぞぉおお!とかいう
無意識行動だったのかもしれないですよ!(ほんとか)
ぬはぁあ! 教育されてたまるかぁああ!
みたいな感じがあったのかも。笑
ヒプノの誘導とかは、
ここでいう、複数の解決方法を、その場でいっぱい持っていないとならないです。
その場面、場面で誘導は全然違くて、
その場に適応した誘導は、
「こういう場合はこう言う」とか、言葉の問題じゃないんです。
「こういう時はこう言う」、「ああいう場合はああ言う」とか、
パターンを覚える種類のものではないんです。
数をこなせばパターンが覚えられるとかじゃないんですね。
誘導に大切なのは、その場の想像力だと思います。
ここでいう、複数の解決方法をあみだせるみたいなことじゃないかと思うのです。
催眠状態に入っているクライエントというのは、
潜在意識の広大な領域に入り込んでいます。
その中から、意図したものだけを取ってこさせるのが誘導者の役割です。
この時に、誘導者は絶対に手綱を握って引っ張り続けていないといけない。
それがないと、クライエントが欲しい情報にしっかりとアクセスできないからです。
そこで手綱を緩めたりすると、とたんにクライエントは露頭に迷ってしまいます。
どこに行っていいかわからないし、どこにも行けないし、
そこで放置される感じになってしまいます。
そうすると、その間にいろんな情報がどんどん降ってきてしまって、収拾がつかなくなってしまう。
クライエントは混乱してしまいます。
こうならないためには、誘導を始めたら、一定の同じ力でずっと誘導を緩めてはいけないのです。
変なところで手綱をゆるめたら、クライエントは糸の切れた凧のように、
無意識の中をさまよう感じになってしまいます。
この「手綱を絶対に緩めない。。」という感覚は、
私はヒプノの学校に行き始めてすぐに、
誰に教えられたのでもなく、直感的に
「誘導はここが重要なんだ!」と私が思ったことでした。
感覚として、ショパンの雨だれや、ドビュッシーの月の光などを演奏する時と同じだと思いました。
ショパンの雨だれや、ドビュッシーの月の光を弾くとき、
ずっと、お腹の下に力をいれて、一寸たりとも余計な事を考えてはいけない曲です。
一本の緊張感の糸を、ずっと引っ張り続けていいないといけない曲です。
息を吸う時間も、ほんの少ししか用意されていません。
ゆったり息を吸っていては、糸のたるんだ、怠けた曲になります。
そうしたことが許されない曲なのです。
一本の細い糸を、ずっと引っ張り続けて、どこでも緩んではいけないのです。
息を張りつめたような、ひっそりとした緊張感が曲の最期まで続く曲なのです。
迷うことも、言いよどむことも、感心していることもできません。そんな時間はないのです。
糸を目的地まで、張り続ける。
そこに全集中力を注ぎ込んで、最後まで弾ききらないとならないです。
ヒプノの誘導もこれと同じです。
意図した所にクライエントさんをたどり着いてもらうには、
誘導者は意識の中で、この曲と同じ、「糸をひっぱり続ける」という作業が必要です。
それには一定のリズムとトーンが必要です。
そのリズムとトーンを保つことは死守しないとならないです。
そして、自分がクライエントと同じ世界に入る必要があります。
かつ、それを俯瞰している必要があります。
それには自分のスピードが上がってなければいけない。
スピードの上がった自分はすべてを俯瞰することができます。
誘導者はクライエントと同じスピードでいてはいけないのです。
クライエントより早いスピードをずっと保つ必要があります。
このスピードを保持し続けないとならないです。
自分が早いスピードでクライエントと同じ世界に入っている以上、
誘導に言い迷うことはありません。
次はここに連れていかないといけないというのが、
匂いでわかる感じです。
つまりは、ヒプノセラピストは、昨日書いたような、
ひとつ上の階層に行くことを日々努力しないとならないのかもしれません。
クライエントと同じスピードでいたら、絶対に転覆し、
同じところで泣いたり、叫んだりしないとならないです。
または、クライエントが「ここからどうしたらいいの?」と立ち止まっているときに、
誘導者が一緒に立ち止まってしまいます。
誘導者は決して立ち止まってはいけない。
つまり、クライエントと同じスピードでいては誘導はできないのです。
誘導者はそれより早いスピードを保持しつづけなければ、
つまりは一つ階層の上にいなければならない。
それには、先日書いたような、
神の時間を過ごす必要があるかもしれません。
以上、自分への覚書のような記事でした。

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