大晦日だね

大晦日である。
大晦日というと、掃除しなければいけないとかいう、この何ともいえない威圧感はなんだ。 大晦日に掃除しないなんて、人間失格とでもいうような。いや、人間は失格しないかもしれないが、確実に主婦失格と烙印を押される。いや、それ被害妄想かもしれん。はやりのブロックとかか。そうだ、被害妄想だということにしておこう。
去年のスケジュールを見ると、29日まで個人セッションをしていたようだ。そして、一月に入ると、11日間休みなしで個人セッションを行っていた形跡がある。去年にくらべると、今年はゆるゆるした年末を過ごしている。
ゆるゆるしているからといって、なんか、心からゆるゆるできるかっていうと、またそれは別な問題である。なんかしてるほうが、落ち着くとかいう効果もあるし、家でぶらぶらしていると、なんともいえない焦燥感のようなものもちょっと感じないでもない。しかし、牡羊座に月がある人間にとって、ちょっとサワサワしているというのがデフォルトだし、これ以上のんびりすることのほうがストレスだ。そうして、なんだかんだいって、掃除もするし、料理もしちゃうのだ。
左脳系スピリチュアルというサイトがFacebookにあって、私のタイムラインに流れてくるので、ふっと読むと、なんか、この著者のこの理屈っぽさといい、長い文章といい、どっか自分を見ているような居心地の悪さを感じつつ、話題もかぶっている時が多々あるような気がして、私のこのブログも読まれてるのかなとか、自意識過剰なことを感じたりなんかしたりなんかして。でも、おもしろくてつい読むのだ。
著者が目指すものが何かは私には知りかねるが、私が目指すものは、あえて言うなら壮大なロマンみたなもの(爆)で、お金を集める技術とか、人を集める技術とかは全く私の分野ではない。 こんな風にするとビジネス拡大できますよ、という話は、研究できる人に研究&実践してもらえばいい。人が一人で研究できる分野というのは限られている。というか、限ったほうが良いように思う。シータ波に入ってあの世の探索をしながら、この世のビジネス展開について熟練していくのは難しい。職人はいつまでたってもお金が稼げないという話がある。そうだろう。だから、職人をやめてビジネスマンになれというのはナシで、職人は職人でいることが幸せなのだ。職人が職人をやめたら、それは不幸の始まりのように思う。
モーツアルトがビジネスが上手で大富豪だったら、ああした音楽はできなかったろう。
モーツアルトの心臓はいつも高鳴っている! いつでもドキドキしている! 
この心の高鳴りは、全体としての不安感だ。人間の集合意識的な不安感だ。彼はその横で、小鳥のように早口で、ピエロのようにおどけて、人類の不安を和らげようと必死に不安をあおるのだよ。それは同種療法ともいう。
Mozart
同じものが、同じものを癒すのだ。

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