美しいこと

インナープラネタリーですが、
満席となりました。
ありがとうございました。
*前回参加されている方で、「この回だけ出たいです」と言う方がいましたら、
そこは参加可能ですので、お知らせください。
(あんまり人数増えた場合は、その日だけ場所を神楽坂等に移すことも考えます。)
昨日のマリリンモンローのOSHOの講話のコピペをUPしました。
私たちには世間から押し付けられている価値観というものがあります。
お金を稼がねばならない、成功せねばならない、
人より良い暮らしをせねばならない、
もちろん、お金があればいい暮らしができるでしょうし、
豪華な家を買えたり、良い服を買えたり、
好きな時に好きなだけ海外旅行に行くこともできるでしょうし、
良いことがいっぱいあるような気がします。
しかし、そこに重きを置きすぎると、
私たちは何か違う・・と思うことがあるかもしれません。
それは微細な違和感で、気がつかないこともあるかもしれません。
なぜなら、世間の価値観は人を圧倒的に支配しているからです。
世間の価値観を前にして、
ああしなければいけない、こうしなければならない、
こういうルールに従わなければならない。
人に気を使わなければならない。
人目をきにしなければならない。
そうして、
お金は稼がなければならないし、
成功しなければならない。
etc….
自分が本当に心からワクワクすることはなんでしょう。
たとえ、お金にならなくてもやりたいこと、
たとえ、誰にも評価されなくてもやりたいこと、
そこにまい進していくことが、私は大切なんじゃないかなと思います。
多くの人はそれは無駄だというかもしれません。
たとえば、あなたが石を拾うのが好きで、
石を拾い続けて、
誰もそんなことに価値があるとは思わないでしょうけれども、
それがあなたの魂が欲することであるならば、そのことで
あなたの魂は燦然と輝くのです。
私はずっと子供のころから、
ビジョンを見るということにこだわっていました。
4歳の頃には、すでにそこにコダワリがありました。
これは私の出生の月が5ハウスで牡羊座の29度「天球の合唱団」で
それが12ハウスの海王星とピッタリのインコンのせいではないかと思います。
それは毎晩、目を閉じた状態でありありと物を見る、
目で見るよりも鮮明に見るというのを
自分に課して訓練していました。
それは時に、非常にイライラする作業でした。
なんども神経がねじくれる思いをしながらも、
わたしは決してそれをやめなかったのです。
私は、自分のこのビジョン視が仕事になるなどということは、
夢にも思っていませんでした。
そんなことは絶対にありえなくて、使い道のないことだけれども、
でも、私にとっては宝物だったのです。
ビジョンが見れると、この現実界に怖いものがないです。
意味、わかりますか?
ビジョンの中には私の求めるものも、私を完全に保護するものも、
私を導く者も、完全な形で存在しているのです。
それが、そこにあるのがわかっているのだから、
この現実界で、「お金にならない」とか、「地位がない」とか、
「他人より劣っている」とか、そんなことが問題であるとは全く思えません。
そんなことは全く問題ではなかったのです。
むしろ、この内的世界が、美しくあることが問題でした。
自分の内的世界が本当に美しくあることが重要でした。
本当の美しさとは何でしょう。
それは、自分に真っ向から向き合うことです。
自分の魂が求めることにまい進することです。
世間的にどんなにそれが無駄に感じても、
決してあきらめず、投げ捨てず、
どこまでも純粋に求めることです。
その時、初めてあなたは
本当の自分の魂の輝きを知るはずです。
そして、自分の魂の意味を知るはずなのです。
花は咲いて散って、日はのぼり、また沈み、
そのサイクルの中で、
決して変わらず、燦然と輝く光を知るはずなのです。
それは、あなたの魂を死ぬまで守り導き、
死んでもなお、あなたを導く光となるはずです。
その光を見つけるべきだ。
人生とはそうあるべきだ。
人ごみにまみれ、
足を踏まれて、
ちぎれそうになっても、
自分の心の底にあるものに触れて、
心の琴線を鳴らして生きることに、
最大の価値があると、
私はそう思うのです。

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