平和憲法はなくなったんです。マザ―テレサの生き方を勘違いしないでほしい。

第九条  
日本国民は、
正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。 

これ、もう、なくなったんですよ。
すごく残念ですね。。
言っておくけど、
もう、日本に平和憲法はなくなったんです。
本当に残念です。
まだ参議院を通過してないっていっても、
国民全員が立ち上がるとか、
そんな奇跡がないかぎり、
もう日本の平和憲法は、
撤廃されたんですよ。
本当に残念すぎる。
嗚呼。残念ね。
「私は法案反対はしません。平和を祈っていればいいんです。」
とかいう、記事を何件か見ましたが、
法案反対しないってことは、
この9条の「武力の行使を永久に放棄する」という
「この条文を破棄することに賛成します」ということです。
「平和を祈って、武力行使をします」ということなんですけど、
そういう意見はあって良いと思います。
他の国はみんなそうですから。
平和憲法は日本独自のもので、それが良いかどうかは
独自の判断があって言いと思います。
でも「平和を祈っていればいい」という記事からは、
武力を行使していい、というような思想はないように感じました。
もしそういう意図がないならば、
というか、本当に平和を求めているならば、
この9条は死守しないといけないように思いますし、
黙っていれば、確実に武装国になることがわかっている今、
わざわざ「反対しない」と表明するのは、
なにか、論理的に破たんしている気がしました。
あの、でも、
もう、 この9条は、日本からなくなったんです。
残念ですが、もうないんです。
え?
しらないの?
いや、いや、 もう、この9条は日本からなくなり、
もう、今年中には、日本は武力行使する国になるんです。
間違いなく、参議院は通過するでしょう。
まぁ、何かすごい奇跡が起こらない限り、
国民が圧倒的に立ち上がるとか、そんなことでもない限り、
まちがいなく通過するでしょう。
戦争反対しません。原発反対もしません。デモにも参加しません。
とかいう記事が、何人か同じ文体で同じ内容の記事を書いてて、
原典はどこなんだ?とか思いますが、(記事のコピペってアリなの?)
よくわかりませんが、すごい出回ってますが、
あの、、なんかその中にマザーテレサの言葉の引用があって
マザーテレサは言いました。
「私は反戦運動には参加しないけど、
平和運動には参加するわよ」

とか引用されてるんですが、
あの、あの、あの。。。
あのですね、マザーテレサがどんな活動をしてたかご存じなんでしょうか。。。
*********「マザーテレサの愛の花束」という本より抜粋します。*****************
1982年夏、マザー・テレサが戦火のベイルートを訪ねた時のことです。
マザーは、シシュ・バハンに収容されている40人の障害児たちが、
砲弾が飛び交う場所にまだ取り残されていることを知りました。
「何と言うことです。何がなんでも、あの子達を救出します!」
そう言い出したマザー・テレサを地元の神父たちは、
必死に引きとめようとしました。
自分たちも、助けに行きたいのはやまやまだが、
とても危険で近寄れない。
それにこのような状況下では、
自動車を運転してくれる人を確保することさえ難しい。
みすみす死ぬような場所に運転していく人などいない、
との理由からです。
ところが、マザー・テレサは頑として聞き入れませんでした。
「私がコルカタで最初に、
 死に掛かってる人を助け出し、
 病院に運んだ時も命がけでした。
 誰も理解してくれませんでした。
 ヒンズー教の聖地カリー寺院に
 「死を待つ人の家」を開設した時も、
 反対運動にあって殺すぞと脅されました。
 今まで一度だって
 命がけでなかったことはないです。
 そうでなければ、道は開けません。
 それが神様の願われていることならば、
 必ず道は開けるのです。
 どうか救出させてください」

関係者はその気迫に押されて、
しぶしぶ言いました。
「もしこの戦争が一時的にでも休戦状態になれば許可します。
 しかし、そんなことはありえないでしょうが・・・」
「いいえ、神にお出来にならないことはありません。必ず休戦します」
翌日、不思議にも突然の休戦宣言が両陣営から下されました。
こうして、皆の必死の祈りによって、
40人の障害を持つ子供たちは無事戦場から救出されたのです。
マザー・テレサの、この奇跡的な救出劇には、
彼女の行動原理が集約されています。
彼女は、行動する時、
今自分に与えることの出来る最良のものを惜しげもなく捧げるのです。
また、その際、たとえ障害があり、命の危険があったとしても、
神様が望まれることなのだから必ずうまくいくという確信が、
マザー・テレサにはあるのです。
それは、このような切羽詰まった危機的な状況だけのことではなく、
日常的な営みの中にも見られました。
彼女にはどんな小さなことであれ、
いつも自分のできるだけの愛を込めて行っていました。
毎日毎日、各瞬間に自分自身の全部を捧げようと念じつつ仕事をしていました。
日々、小さなことに惜しみない愛を込めて行っていたからこそ、
大きなことにおいても命をかけて行動することができたのです。
***********************抜粋終わり*********************************
マザーの平和運動は、いつでも命がけでした。
祈りはいつでも命を懸けるくらいの気迫によって
叶えられるものなのかもしれません。
マザーは戦争反対運動はしない、と言ったその理由は、
ただ、荒々しい波動を受けたくないからとか、
そういう理由ではありません。
むしろ、荒々しい波動の所に、飛び込んでいく。
そこで、自分の愛を実践する。
それがマザーの平和運動だったと思います。
そこが戦火であろうと、
殺すぞと脅されようと、
そこに飛び込んでいく、
そして、そこで愛を実践する。
愛の実践のほうが、
「戦争反対」と言葉でいうよりも、
体当たりの抗議ができるからです。
真の意味で戦争に抗議でき、
平和に近づくからです。

それがマザーの生き方だったと思います。
そのマザーが生きていたら言っていたでしょう。
「この9条は命がけで守らねばなりません!」って。
私はそう言っただろうと、確信しています。
9条を守るということは平和運動そのものなのですから。
もう一度載せます。
第九条  
日本国民は、
正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。 
なんて、美しい文でしょう。
なんて、美しい憲法でしょう。
もう、これは、永久になくなるかもしれないんですね。。。。
でも、なくなったとしても、
私はこの憲法の美しさを
永久に忘れることはないでしょう。

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