2極を超える。地球の設計図。

臨死体験をした、
サマンサさんの体験を聞くと、
その体験の密度に圧倒される。

本当の体験を語っているとき、

その言葉の密度と振動数が全く違うので、
これを嗅ぎ分ける力がある人には、
それが真実かどうかがすぐわかってしまうのだ。

そして、2極を超えることや、肉体を超えるた後の世界が、

実はものすごくシンプルで、
実に美しいことがわかる。

2極を超えたあと、つまり善と悪、良い悪いを超えた後、

その向こうの世界は、次元の超えた善の世界がある。

この次元の超えた善は、いわゆる普通の善悪の善ではなく、

次元の超えた善である。

2極を超えると、善も悪もなくなって、混沌として、
人間性も何もかもなくなると思っている人が時々いるように思われるが、
そうではない。

太陽は恒星であるが、

太陽は、ただ温かく光っている。輝いている。

これが次元の超えた善である。

星もそうだ。

暗い夜空のなかを、美しく輝いているのだ。

ここに絶対的な美しさが存在している。

この美しさは2極を超えた善と美である。

もしこの次元の超えた善を体現していないならば、
2極は超えてない。

美しさと善がそこにないならば、絶対に2極は超えられていない。

それは星をみればわかることだ。
誰にもわかるだろう?

本当に星を見ている人ならば、
すぐにも本能でわかるはずだ。

2極を超えたら、次元を超えた善に向かう。
善悪を超えた善と美に向かうのだ。

それは痛みも苦しみも超えた、
包括した絶対的な善と美なのだ。
包括したからこそ生まれる、絶対的な善と美である。

神の領域といっていい。

超えないと生まれない善と美があるのだ。
それはいわゆる、二元性のある善ではない。
分裂した善でも美でもないのだ。

この絶対的善と美の世界に入り込むと、
地球の設計図がわかってくる。

しかし、この絶対的善の世界に入らない限り、

この地球の設計図はみえてこない。

銀河教室のヒプノスクールでは、
この地球の設計図を読み取れるひとを育てていきたいと思っています。

真理はそんなに複雑ではありません。
複雑だとおもったら、それはマーヤに取り込まれているからです。
この世が陥っているマーヤを取り除かないといけない。

世界は強烈な妄想でできあがっています。爆
その妄想に妄想を重ねてはいけません。

人生が複雑になるだけです。笑

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写真:NASA

人が綺麗なものや美しいもの、善なるものに惹かれるのは、

それは2極を超えたその向こうの善と、似てるものがあるような気がするからだ。
我々はそれを、本能的に知っているのだ。
もともと知っている。

しかし、2極を超えた善は、その分裂した世界での善とは圧倒的に違う。

これを体現してないものは、絶対に2極は超えていない。

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