完成したものは出口を塞ぐ。お勝手口を探せ!

昨日は、チャネラーのカノンさんが
ツイッターで横尾忠則さんの動画をUPしてたので、
見入った。

その動画の中で横尾忠則さんは

自分の絵はどれも未完である。
その絵を完成させるということは出口を塞ぐことになる。
未完であるということは、その未完の部分がお勝手口のようなもの。
そこから脱出できる。
そのお勝手口を通り抜けると、次の作品が描けるのだ。

完成した絵を描いてしまうと、次の作品を書く意味がなくなってしまう。
次の作品を書くためには未完で終わっておいたほうが、
次の絵を描く意思も生まれてくる。

と横尾先生はいう。

まず、この話を聞いて、
新月と満月の関係を感じた。
新月で、こういうことをやりたい!と感じた新月は、
反対側まで行ってその初心を達成しようとおもうのに、
結局満月になるときには、その初心とはずれた形で達成する。

最初の目標はいつまでたっても達成されないのだ。

これはきっと、あらゆることの真理の一遍なのだろう。
絶対に完成しない、この法則があるから、
地球は回り、宇宙は動き続けているのだ。
あのぐるぐるは完成しないことのぐるぐるなのだ。

また、うちの母など見ていて思うのだが、
年老いてくると、
人間として完成してくるかと思いきや、
むしろその逆で、
至らなかった点などが、浮き彫りになってくる。
人生の課題や問題が如実になってくる、その感じは、
やはり、完成してしまっては、閉じ込められるからだ。
次につながっていかない。
お勝手口を塞いでしまうからだなと思った。

そうして、それこそが次の人生への引き継ぎなのだなと思う。

解脱するのと輪廻の中にいるのと、どちらが楽しいかっていったら、
確実に輪廻の中にいるほうが楽しいに決まっている。

ぐるぐる回っていれば、いずれ、その遠心力で遠くまで飛べるかもしれないが、
解脱してしまって、閉じこもれば、もうそこからどこへも行けないのだ。

そういえば、むかし、お芝居を誘われてやったときに、
あまりの完全燃焼さに、終わった後にふぬけになったことがある。
何日公演だったか、数日続く公演だった。
池袋の文芸座で、何日もおこなって、
最終日に、これが終わったら俺死ぬなーって思ったけど、
やっぱり死んだ。

次に何を目標していいかわからないほど、全力投球してしまったのだ。

こんなに燃え尽きてしまって、どっから浮上したらいいのだろうと思ったとき、
やっぱり人は、その「お勝手口」を探すのだ。
この体験の中での、未完成な部分。
それを必死で探した。
この体験を超えるであろう、そのお勝手口。
そのとき、忽然と顕われたのが、ピアノだったのだ。

お芝居していたときに、
私は、感じたのだ。

どんなに良い芝居をしようと、
どんなにすごい演技があろうと、

そこに音楽の生演奏がはいったら、すべてはかき消されてしまう。
音楽家より強いものはないと。

つまりこの芝居の体験を超える、お勝手口は音楽を演奏することだったのである。

私はそこから猛烈にピアノを始め、
数年後には、あらゆる事を全部やめてピアノに没頭していったのだった。

私は音楽に没頭していく課程で、
あらゆる神秘にであった。

その話はまた今度。

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写真NASA

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