自分なりの願望成就法。あの世はたいしたところじゃないんだって。

願望を叶える方法があります。

私は常々思うのですが、
自分の願望を叶えるためには、

それが利己的な願望だとすごく、

かなえるのが難しくなるような気がしています。
これは、どうしてなのでしょう。

おそらく、心理的なものも多いはずですが、

心理的だけではない、

霊的なものも含まれる気がしています。

前にもブログで書いたと思いますが、

結婚したいと思ったとき、

「自分の幸せのために結婚したい」だと、

なかなか成就するのに時間がかかる気がします。

いや、その望みは絶対に自分のためなんですけど(爆)

そこをあえて、自分のためではなくて、

「親を安心させて、まだ見ぬ伴侶の人生の役にたち、

自分も含めた家族が霊的に成長する場を設けるために

結婚したいです。」

みたいな、自分の結婚が他の人にも役にたつ、みたいな理由にしたほうが、

なぜか、なにかしらの応援がやってきて、

成就にいたる確率が高くなる気がするのです。

でも、これは私の心理的なものが含まれているのかもしれません。

「自分だけが幸せになってはいけない」というビリーフがあるんでしょうね。爆

でも、こうしたビリーフも使いようで、

「自分だけが幸せになってはいけない」というビリーフがあるならば、

「自分の幸せが他者貢献に繋がる」ことを知れば良いだけです。

これはまぎれもない事実です。

自分の幸せは必ず他者貢献になります。

たとえば「自分だけ幸せになってはいけない」というビリーフがあれば、

「自分だけ金持ちになってはいけない」という、

展開系のビリーフも必ず持ってると思います。

そのときに、自分がお金持ちになったら、

どのくらい他者貢献できるようになるかを考えたら良いのだと思うのです。

それって、ものすごい貢献するでしょうね。

たとえば、あなたの友達が、年商一億のビジネスを成功させたとして、

それが親友ならば、必ずあなたにも、その恩恵が降ってくる可能性がありますよ?

ま、ただの知り合いとかではその恩恵は降ってこないでしょうけど(爆)

親友ならば、なんか恩恵があるでしょう。

きっと、その家族や、そこに携わる人たちは、

生活が保障されたり、いろんな面でその恩恵を被るはずです。

というか、

自分だけ幸せになるんだという発想で

年商一億のビジネスは成功するわけもないのです。

これはすべてに言えるんです。

自分だけ幸せになるんだという発想で、

結婚がうまくいくわけもなく、結婚生活が維持できるわけもなく、

自分だけ幸せになるんだという発想で、

人生が上手くいくわけはないんですね。

なぜなら、私たちは一人で生きてるわけではないからです。

なので、「自分だけ幸せになってはいけない」というビリーフを持ってる人がいたら、

「自分の幸せが世界貢献になる」という、

リフレーミングをすればいいのかなと思った次第でございます。

人は幸せになること一つとっても、

なんか心理的には理由が欲しかったりします。

理由がないと動けない。

信条がないと進めない。

それをやるに値するもっともな理由が欲しい。

こうした心理は深層心理に隠れています。

なので、普段は意識できないのです。

もし、人生で何をしたらいいのかわからない、、と

お悩みの方がいたら、

それは、ただ理由が欲しいという無意識ちゃんからの声だと気づいてください。

無意識ちゃんは理由が欲しいんです。

だから、そこは自分が意識して、自分の無意識ちゃんに、

「あなたの幸せこそが、みんなの役にもたつんだよ。」とか

わざわざ言ってあげないとならないんですね。

無意識ちゃんはからならず理由をほしがります。

それは、なぜ?どうして?を繰り返す、

小さな子供のようなものなのです。

自分の中にそうした、小さな子供のような純真な無意識ちゃんが存在しているのを

ちょっと感じれるといいんじゃないかしらん。

昨日は森田健さんが、

あの世もいいけど、この世もいい、という記事をFBであげてて、

あの世の記憶がある人への調査をすると、

あの世もこの世もさして変わらないみたいですね。

どっちもどっちらしいです。

私もうすうすそう思っていましたよ。

あの世がめっちゃ良いところで、この世が厳しい超つまらん場所なら、

普通なら、生まれてこようとしないと思うんです。

でも、なんとか生まれてこようとする意思があるわけでしょ。

きっとね、あの世が嫌だったんだと思います。爆

またね、あの世がすっごい良いところなら、

なんでみんな死ぬのを怖がってるんですかね。

あの世がものすごぉおーい良いところならば、

それ、意識のそこで知ってるはずですよ。

でも、そうじゃないんだと思います。

早く死にたいと思ってる人も中にはいると思いますが、

どうせ死んでもたいした世界など待ってないと思いますね。

つまり、自分の世界を、たいした世界にするかどうかは、

自分次第なのだと思います。

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