誰かを可哀想と思うとき

誰かを可哀想と思ったことありますか?

私は、可哀想と思った瞬間に

それは相手の魔術に引っかかってると思っています。

または相手を魔術に引っかけようとしています。

ええ、もちろん無意識ね!!

いや、対象が子供とかの場合は別ですよ。

子供が親にしかられてるの見たりすると、

可哀想って思います。

しかられるようなことするのは、

あんたの育て方がひどいからだろ、とか思うので。

でも、子供とかじゃなく、大人で普通に成人してる人に対しては、

相手がどういう状況であっても

可哀想と思わないようにしています。

なぜなら、可哀想と思った瞬間に

相手の餌になってるからです。

はい。悩みは、ほぼ自作自演という記事ありましたよね。

自作自演するには、絶対に可哀想と思ってくれる相手が必要なのです。

わかりますか?

可哀想と思う人がいて、はじめて自作自演は成立するんです。

なので、苦しんでる人や悲しんでる人がいたら、

それは自作自演だよ、といってあげる必要があるし、

自分で勝手に人生に落とし穴を掘って、

自分ではまってることに気がついたほうがいいよ、

といってあげたほうがいい。

だけど、絶対にNGなのは、

相手を可哀想と思うことだと思います。

可哀想と思う人は、善意と思い込んでると思いますが、

実はものすごく傲慢で、余計なお節介で、

相手の自作自演を助長している。

相手を可哀想と思うことで、

可哀想の穴に、さらに閉じ込めているんです。

その人にとって、相手は可哀想な人であり続けなければならないのよ。

そのレッテルを貼られた相手は、

ずっと可哀想な人でありつづけなくちゃならないの。

つまり、可哀想と思った瞬間に、

あなたも相手を餌食にしてるんです。

あなたも加害者になるんです。

これ、三角形のドラマと同じ原理なんですけどね。

よく考えると、この三角形のドラマも、

俯瞰した視点がないと、その三角形から抜けでれませんよ。

俯瞰した視点をもつ。

これ、すごい大事だよね。

明日は俯瞰した視点について書いてみようかな。

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