敵が現れるのも、味方が現れるのも、孤立無援になるのも、自分のしてる自作自演。

敵が現れるのも、

味方が現れるのも、

孤立無援になるのも、

自分のしてる自作自演。

傷つけられることで何かいいたい人は、

いつでも傷つけられる役を選んでるし、

そこに傷つける役を選ぶ人が、

その自作自演劇に参加してくれて、

ドラマが生まれているだけなのだ。

この世は全部自作自演。

よく考えてみよう。

オームという響きは、この世が始まった原始の音だといわれる。

この世が始まる前、

神はただ、そこにいた。

なにもなかった。

ただ、神だけがそこに いた。

ある日、ある時、神は思った。

つまらねーな。

そして世界を見てみたいと思った。

その瞬間に爆発が起り、ビックバンがはじまり、

瞬く間に世界はできた。

その時の響きがオームという音だ。

つまり、神はつまらないから世界をつくったのだ。

ドラマがみてみたい。

映画が見たい。

ちょっと娯楽にはまりたい。

そう思ったのだった。

これぞ真理である。

私たちは、深層心理の中に、「ドラマが見たい」という

願望があるのだ。

傷ついたり、傷つけたり、

愛したり、愛されたり、

憎んだり、憎まれたり、

だって、暇なんだもん、と内なる神はいっておられる。

刺激を求める心は、

もっともっと、もっと過激にいろんな体験をしたいと望む。

どろどろに憎しんだり、どろどろに愛したり、

それが楽しいのだ。

絶対に抜け出れないだろうという迷路を自作自演して、

そこにはまって、思い悩み苦しむ、そんな自分を演じてみたいのだ。

それを楽しんでる自分がいるはずなのだ。

私の悩みは絶対に他人には癒やせないと思いながら、

セラピスト巡りをする人もいる。

癒やせないだろう?とそれを証明したくて、

セラピストを巡っているのだから

絶対に癒やされるわけがない。

でも、セラピストがヒドイから私は癒やされないのよ、とかいってみるが、

実は癒やされないことを証明したいのだ。

そんな悲劇のヒロインを演じたい場合もある。

ほおら、すごいでしょ、この傷!

いやいやいやいや、それ全部自作自演です。

自作しないものは、この人生に起らない。

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