親から自立できたとき、本当に親と繋がれる。

親から心理的に精神的に、心の奥から、

自立できたとき、本当に親と繋がることができる。

大きな生命の根源と繋がることができると思う。

今日は、そのことについて書いてみたい。

自分が自分の意志で生きるのだと宣言したとき、

私は、銀河教室のセルアイ講座で、

親から卒業して、自立するという瞑想をするのですが、

このとき、自分の意志で生きると宣言したときに、

初めて、本当の意味で、親に感謝することができる。

自分の生命の実体と繋がれることができるのだ。

なぜだろう。

今日はそのことについて書いてみたい。

精神的に自立できないうちは、

心理的逆転もあるし、

すぐ体調わるくなるし、すぐ具合も悪くなるし、

身体だるいし、だから自分では生きられないし、

一人じゃなにもできないし、、

という波動をまんまんに放っている。

なぜなら一人で生きていけない風でいないといけないからだ。

これが心理的逆転の根本にある無意識ちゃんのする技だ。

そんなときには、

親に感謝どころか、親にまだまだ保護してもらおうと思っているのがホンネ。

親に、会社に、組織に、友人に、何かに、

保護されたいと思っている。

できたら、親やそれに変わるものに寄生したいし、

親や誰かの自由を奪って、

自分の面倒を見させたいとさえ思っているのが、

深層意識だったりする。

もちろん、こんな酷いことを意識では思ってない。

思ってないよー。でも無意識ちゃんがそう思ちゃっている。

保護されたいと思うこと、それ自体は別に悪いことではないのだが、

その意識が、結局は自分の体力を落とし、

結局は自分の能力を制限し、

自分を無能な人にしてしまう。

自分で自分を無能にしてしまう。

それは、本当には自分は望んでいないと思う。

でも、誰かに助けてもらいたい、保護してもらいたいと思っていると、

無意識ちゃんが勝手に自分の能力を落とし、

体力を落とし、

何もできない風を装いはじめるのだ。

要するにこうしたときは、

自分が自分の足でしっかり立って、自分で生きるのだ、と腹が据わってない。

でも、自立したとき、自分が「自分の意志で生きているのだ」と実感認識したとき、

親の存在が本当に生きてくる。

このときは、親が、自分をどんな扱いをしたかどうかなど問題ではなくなってくる。

私がここに存在するために、ここで生きるために、

親がお金や食べ物を与え、自分の生命を維持することに、

貢献して来てくれたことは間違いないのだ。

自分の人生の目的が、「生きる!」なんだということを、

ハッキリ自覚した人間は、

その「生きる」を手伝ってくれた人への感謝が本当に湧いてくるだろう。

あなたは、犬や猫を飼ったことがあるだろうか。

飼ったことがあるならば、問いたいのだが、

あなたは

犬や猫の意向を、毎日、毎日考えて、

犬や猫が欲しい愛情を注いできただろうか。

否。

ではないかな。

犬が欲しい愛情、猫が欲しい愛情。

その欲しい形の愛情をあなたが与えられている自信があるか?

犬も猫も、実は子供を産みたいと思っているはずだ。

しかしあなたは犬も猫も去勢してないか?

それで本当に犬や猫の欲しい愛情、欲しい欲望を満たしてあげてると言えるのか?

また、飼われている猫も犬も、

自分が欲しい愛情を飼い主から与えられているとおもえているだろうか。

おそらく、

否。。

だろう。

あなたの親も同じである。

親にとって、子どもは犬や猫と同じくらい、異星人だ。

その異星人の子供が、欲しい愛情、示してほしい関心を、

親がその通りにそのまま与えられるわけがない。

親にも生活がある。時間は有限だ。

休む時間も、リフレッシュする時間もほしい。

その中で、食べ物をあたえ、お金を稼ぎ、衣食住を満たし、、

あなたの生命を維持してきたのだ。

そこであなたの人生の目的が「生きる」ということだ、と実感認識できている人は、

衣食住を満たしてくれるだけで、自分の存在を維持してくれるだけで、

充分にあなたの人生目的に、親が貢献していることがわかるだろう。

これがわかって、はじめて親に感謝できるのである。

なかには、まさに犬、猫のように扱われて育った人もいるかもしれない。

ご飯はくれたけれども、その他のことは何もしてくれなかった親もいるかもしれない。

または、犬に芸を教え込むがごとく、激しく調教された子供もいるかもしれない。

どのように育てられたとしても、

あなたの人生目的が「生きる」である以上、

親はあなたのその人生目的に、めちゃめちゃ貢献しているのだ。

でも、

自分の人生目的が「生きる」だということがわかってない人は、

そう思えないだろう。

あなたは、自分が、

犬や猫の意向に、100%応えられなくても、

犬や猫の生命を維持できるだけで、

充分に、世話してあげたと思っていないか?

昼間寂しい思いをさせたり、閉じ込めたり、鎖でつないだり、

去勢したりしながらも、

つまり、自分の生活の都合に犬猫を従わせて養育していても、

それでも生命を維持してあげているだけで、

充分に世話しているつもりだろう?

愛情を注いでいるつもりだろう?

親も同じである。

親も、子供を自分の生活の都合に子供を従わせながらも、

子供の生命を維持し教育を施すだけで、

充分に子供の世話をしているつもりなのだ。

そして、あなたの人生の根本的目的が、

「この世で生きることだ」と、理解できたら、

親は、あなたのその目的に充分に役割を果たしている。

自分がしてきた体験を、傷だと思うならば、

どこまでも心理的逆転は発動する。

被害者意識が心理的逆転の根本原因だからだ。

追記:

でも、誤解されたくないので、書きますが、

体調悪いからといって、自分がダメだとか思わないでください。

そういうことが言いたいのでは全くありません。

体調の裏にある心理に自分で気がつくことが、そこから解放される術になると思うのです。

その裏側にある心理に気がつくことは、時に目を背けたいかもしれないけれども、

別に、恥ずかしい事は何も無いです。

自分が体調悪くなったとき、

「あ、なんか、甘えたいんだな。誰かにかまって欲しいんだな。よしよし」って

思えれば、自分が自分を理解する糸口になり、

それが自分を自由にするきっかけになるはずだと思う。

誰も、人を真には助けられない。

自分でしか、自分を救えない。

だから、自分で気がつかないとならない。

自分は自分のこの考え方で救われるので、きっと誰かも救われるんじゃないかと思って書くんです。

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