自己美化をやめると、自分の人生が生きれるようになる。

「私は、家族のために、〇〇してた。」

という話しがあると思うんですけど、

「親に幸せになって欲しくて」

「困ってるから助けたくて」

だから頑張ってました。我慢してました。一生懸命やってました。。。

それって嘘じゃないと思うんですが、

嘘じゃない、

たぶん、本当にそうだと思ってると思うんですが、

でも、

私たちの中には、もっと

狡猾な部分があります。

で、その狡猾なところ、を見れるようになる、、

自分の狡猾さをまじまじ見れるようになる、ってならないと、

本当の開運とか、

ブレイクスルーとか、

自分で人生の舵とりができる所にたどり着くとか、

突き抜けるところに行かない気がします。

親に幸せになってもらいたくて、わたしこんなに頑張ったんです。

でも、やってもやっても、親が幸せになることはなかった。。。

だから、「自分は人を幸せにすることはできない、だめな人間」

っていう設定を自分がしていて、そういう現実が次々とやってきたんです。

それに今、気が付きました。

その設定を今手放します!!

これって、ある種の気づきだとは思うんです。

でも、この発想で物事考えていると、

被害者意識から抜け出れないし、

限りなく、自分を美化してるんですよ。

自分の醜悪な部分を絶対に見ようとしてない態度が、

見え隠れしてるんです。

そうすると、この設定を解除したい、と思った時、

「あなたが両親を幸せにしたいと思った気持ち、それ大切にしよう。」とかってなるし、

「両親がそれで幸せになることはなくても、それはあなたの責任ではないよ」とかってなる。

これだと、たぶん、ぜんぜん、前に進んでるようで、進んでないんだよね。

私たちの意識には、

もっと奥に、もっと狡猾で、もっと全部を理解しながら行動している自分がいます。

たとえば、自分が両親が喜ぶように一生懸命やった、という認識も、

単に、親に一番かわいがってもらうための戦略だし、

親に一番怒られたとかも同じで、

親の関心を自分に一番向けさせるための戦略だし、

でも、どうやら両親はそれで幸せになることは無かった、、という現実も、

もともと、自分が両親を喜ばすために行動してない、ということの結果でしかない。

もともと、自分が両親を喜ばすために行動してない、ということの結果でしかない。

もともと、自分が両親を喜ばすために行動してない、ということの結果でしかない。

もし、本気で親を喜ばすことをしてたら、

親は絶対にそれで幸せになってるって!

そうだよね~!!!+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚

親がそれで幸せになってないなら、

親を喜ばすというのは大義名分で、

実は自分のために行動していたはずなんです。

実は自分のために行動していたはずなんです。

自分のため~!!!ヽ(≧▽≦)ノキャハー!

そこ、気づかないと。

自分のために行動していたから、両親がそれで幸せになってないだけで、

自分のために行動しながら、どうして親がそれで喜ぶことがあるだろう!

人の認識というのは、非常に狡猾で、

かつ自己正当化と、自分の美化に満ち溢れているのね。

で、ここが見れるようにならないと、

自分の狡猾さを、かくして、

いや、私は愛してるんだ!とか、

相手のためにこうしてるんだ!とか、

って言い出すと、

まるで、自分の行為と、

人生の結果が結びつかなくなるでしょ。

自分のためにやってたんだ!!ってわかると、

視界が360度ぱーんって開かれるんだよね!!

自分の行為と、潜在意識の結びつきがしっかり見れるようになると、

自分がどう行動したら、どう結果がでるか、が見えてくるんだよね。

潜在意識の奥では、誰もが、

自分のためにしか生きてないんだわ。

自分が得たい結果しか得てないんだわ。

イヤイヤながら勉強させられてたとか、

イヤイヤながら家事やらされてたとか、

イヤイヤながら結婚したとか、

それも、イヤイヤながらだよ、って言えば、

なんか、自分の責任じゃないような気がして、

相手が悪いような感じになるし、

その結果、良い大学行けましたとか、

その結果、今は何不自由ない生活していますとか、

なったとしても、

それさえ、

「自分が欲しくて得たものじゃありません。」みたいな態度になる。

どうして、そういう態度なの?っていうと、

自分の人生の責任をとりたくない。

っていうだけなんだよね。

そのための逃げ口上として、

親が勉強させたからとか、

好きでもないのに結婚したからとかって、

他人のせいにしとけばいいかな、って思ったんだよね!

いやいやいやいや、

それ、絶対に選んだのあなただから!!

人のせいにするのやめようぜ!

また、

自分が一生懸命やってたのに、

親がそれを認めなかったとか、

親がそれでも喜ばなかったとか幸せにならなかった、

「だから一生懸命やっても私はダメなんだと思いました。」って決定は、

実は、

一生懸命やりたくないからした決定なんだよね。

楽したいから、一生懸命やりたくないから、

一生懸命やってもだめだったってことにしたんだよ!

その奥の奥の自分の狡猾さに気が付かないとさ、

ホントの自作自演に気が付けない。

相手のためとか、相手のせいとかが、

限りなく、自分のためだし、自分のせいだってこと。

この自分の人生のねじれを解消するには、

本気で自分のために生きることなんだよね。

あ、今まで私は自分のためにしか生きてこなかった!ってことが、

腹の底からわかれば、

本気で全身で

自分のために生きる選択ができる様になるんだよ。

そうすると、変な自己美化とかやめれるようになる。

自己美化してるときは、

自分の人生が生きれてないよ。

勾玉にマクラメ編みしてみた。かわいい~!

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