善悪と敵と味方

今日の記事はあくまでも私のための覚書です。

目的を決めると、良い悪いが決まる。

目的がなければ、良い悪いはない。

目的を持つと、良い悪いができる。

たとえば、あの人が好き!結婚したい!とかいう目的を持てば、

おのずと、その目的を達成するために、良い悪いができるわけです。

自分の中で、「これはすべきことだし、これはすべきではない」ができる。

と同時に敵と味方もできる。

良いも悪いもないというのは、

目的がないということ。

目的がないとか、欲望ないとかってのは、

それを悟りとか言ってる人がいるが、

目的なく欲望ないなら、寝てればいいだけ。

目的なく、欲望ないなら、寝てれば、って感じ。

グダグダいってないで寝てろよっていう。

それが悟りなんだろ!寝てろよ!

それって単に生きてることを否定しているだけ。

それは悟りとは言わない。

私は、生まれたということ自体が、

目的と欲望があった証なので、

その最初の動機を認めないかぎり、

認めて実行しないかぎり、

悟りはないと思う。

つまり、生まれたということ自体、

なにか目的があったということ。欲望があったということ。

その目的を持ったところから、

良いと悪いが決まって、

敵と味方が決まる。

目的をもって生まれ落ちたから、

自分に左右がバン!ってできて、

上下ができて、

前後が決まる。

自分に左右があって、上下があって、前後があるならば、

もう、すでにこの世に参戦している証だし、

それが体感できる以上、

自分に左右があることを体感できる以上、

あなたの中に確実に、

良い悪いが存在している証であるということ。

なのに、ここを忘れてしまう。

自分には左右はありません~とか、

善悪とかありません~とか、

みんないいんです~とか、

これらは目的を忘れたから出てくる。

忘れると、迷う。

どっちが良いでどっちが悪いか

決められなくなる。

目的を見失うと、

善悪がなくなる。

アルジュナがクリシュナを前に苦悩したのはこのため。

絶対絶命の中で、

恐怖と焦りの中で、

自分の人生の目的を見失ったから。

目的を見失うと、善悪がなくなり、

迷い、悩む。

そして、自分の中で時間も進まなくなり、

なんとなく年をとっていくという事になる。

目的を持った瞬間に、

左右ができ、

善悪ができ、

敵と味方ができる。

味方を攻撃しないこと。

味方を攻撃するのは、

目的がわからなくなってる時に起こる。

また敵を擁護しないこと。

敵を擁護するのは、

やはり目的を失ったからおこる。

アルジュナが、

カウラバ兄弟を擁護しようとしたのは、このため。

またよく内紛とか起こるのもこのため。

目的を失って、見方を攻撃しているのだ。

味方を攻撃しない。

子供や親、友人、同僚、味方を攻撃しないこと。

目的をしっかり認識すれば、こうしたことは起こらない。

自分の味方が誰で、敵がだれなのか。

敵も味方も、ぜんぶ自分の中にあるのだ。

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