こういう悲劇は本当になくしたいものだ。

昨日はお姉さんの話を書きましたけれども、

愛情ってご飯に喩えるとわかりやすいかもだけど、

第一子は、それまで当たり前に山盛り一杯のご飯を食べてたのに、

あるときから、茶碗半分にさせられて、

それだけでも衝撃なのに!

何かいうと、

「我慢しなさい!」とか

「これがあたりまえです!」とか

「栄養的にこれで充分なはずです!」とか

突然言われちゃう。

栄養的に充分とか、いわれても、

昨日までお茶碗いっぱい食べてたご飯を、

今日から半分です!とされた衝撃ってすごいよね。

慣れるまで、ただただ、みじめ。

子供の目線からするとほんとそうだと思うんだけど、

でも、お母さんからすると、

配れるご飯の量はもう決まってる。

お母さんが、子供にさいてあげられる時間は、総時間はきまってる。

増やせない。

お母さん、増やせないんだよ。

これでも、全部、子供に捧げちゃってるんだよね。

自分の時間、プライベート、全部子供に捧げちゃってる。

そうしたら、どうしても「お姉ちゃんなんだから」と言ってしまう。

子供が、もっとお茶碗いっぱいのご飯を下さい!下さい!下さい!って

ねだってくる。

でもお母さんも、どうしようもない。

お母さんも生き地獄なんだわ。

その中で下の子も泣きわめく。

この物理的な、非常に物理的な、愛情の問題を、

これは物理的なんだという事を知ってもらう必要ってある。

だって、お母さん、心の中ではいつでも「ごめんね」って言ってるんだもの。

たとえ、どんなに表面的に、怒ってたりいらいらしたり、

上の空だったり、話聞いてなかったりしても、

もう、自分の中では、精神的にはいっぱいいっぱいで、

その中で、子供には心の中で「ごめんね」って言ってる。

でも、この声は子供に届いてない。

そして子供は子供で、

自分は精一杯お母さんに協力していると思ってる。

お母さんのために我慢してる、と思ってる。

自分だけが我慢してるとさえ思ってる。

こういう悲劇は本当になくしたいものだ。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。