人に従うのか?人にコミットするのか?

子供の頃、親があまりに自分に合せてくれて、

我がままを言っても、親がそれに合わせてくれていた場合、

自分が我がままであることに気が付かず成長していきます。

このまま大きくなるとどうなるでしょう。

社会にでたら、または集団に入ったら、

自分のわがままが通らない。

無意識的に、自分のわがままが通らないことがわかっているので、

社会に出ないとか、集団に入らないようにしたりします。

または、結婚したらわがままが通らないかも、、と思っている場合もあります。

結婚したら、相手に合せないとならない、

自分の好き勝手にプライベートができない、と思う場合、

この場合は結婚しないようにしたりします。

どちらにしても、自分のわがままが通らないかもしれないと

思うような場面で尻込みし、

できるだけそれを避けて生きるようになります。

そうして、「自分は遠慮して生きている」というような勘違いをします。

それは勘違いです。

人に遠慮ができないから、人に譲ることができないから、

自ら狭い世界にいるのに、

それを「人に遠慮しているんだ」と勘違いしています。

この場合、実はぜんぜん遠慮してないんです。

もし、ちゃんと遠慮ができるなら、

遠慮して相手を立てられるならば、

世界はもっと広がります。

その我がままを捨てて、

人に合わせられたり、

人に従えたりしたら、

人生はもっと広がります。

あなたはもっと他人とコミットできるようになる。

こうなったとき、

初めてあなたは他人の力をも使えるようになるんです。

それは実に実に、楽しいことです!!!

他人とコミットしてないから、

自分の狭い了見の中でしか、

生活してこれなかった。

他人とコミットってなんでしょう。

たとえば、会社で働くとしたら、

その会社の上司や社長さんに従って、働いて、

お給料がもらえ、そこで人間関係が築かれて行きます。

従えないならば、お金ももらえないし、人間関係もできません。

セラピストとしてピンで働くとしたら、

あなたは誰にも従わなくていいと思いますか?

いいえ。

セラピストはクライエントに雇われているのです。

ピンで働く人は、世間に雇われているのです。

きちんと世間に雇われた人、世間やクライエントの希望に添えた人だけが

お金がもらえ、人間関係ができるのです。

ピンの方が、雇い主がデカいです。

このデカイ雇い主に従って生きなければなりません。

これは、どんな有名人でも芸能人でも起業家でも同じ。

まったく同じなのです。

人に従う、、って言葉は嫌な感じがしますね。笑

自分の軸がなくなったような、

自分をうしなったような、

そういうイメージで、人に従うということを避ける人が沢山います。

それは勘違いですよ。

人に従うという言葉のイメージに騙されないでください。

人に従うということは、

その人と、コミットすること。

コミットしたとき、

あなたの世界は二倍にも三倍にも広がっていきます。

ピアノのレッスンでもそうです。

先生の言いつけに従えないならば、

演奏の幅は全く広がらず、

表現できることはほんのちょっとしかありません。

でも先生に従えるならば、

自分のパレットの絵具は2倍にも3倍にも広がるのです。

これは会社に入って、会社にコミットした人も同じですよね?

自分ができることがどんどん増える。

もし、誰にも従わず、従うことを拒否るならば、

あなたはずっと3色くらいの自分が持ってる絵具だけで生活をしていき、

なんか、つまらないなと思いながら、

一生を生きることになります。

つまらなくしているのは自分。笑

人とコミットしてみよう。

相手に従ってみよう。

それができたとき、

もっともっと、広がった世界を見ることができるでしょう。

ぜひ、自由という言葉や、従うという言葉のイメージに騙されないでください。

自由だと楽しい、、というのも勘違いですし、

従うと苦しい、、というのも勘違いです。

従える人こそが、自由を手にし、広がりをゲットする。

自由に固執する人こそが、何も手にできず、狭い世界で生きることになる。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。