鵜かいの鵜の話をご存知だろうか。
私はこの話が大好きで、時々あちこちでする。
鵜かいは、例えば10匹で漁に出たとして、
そうすると、2羽は懸命にはたらき、6羽は普通に働き、
残りの2羽は働かないでぷかぷか浮いてたりするそうだ。
そこで、その働かない奴らをクビにして、
他の班の懸命に働く2羽を入れる。
そうするとどうなると思いますか?
やっぱり2羽は懸命に働き、6羽は普通に働き、
残りの働かない2羽というのができるそうだ。
この法則は人間にもみられる。
幼稚園で幼児たちに部屋のお片付けをするように言い渡す。
10人いれば、2人は懸命にお片付けをし、
6人は普通にし、残りの二人はろくにお片付けをせずにぷらぷら遊んでいる。
メンバーを入れ替えても、この法則は変わらない。
なぜ、このような事が起こるのだろうか。
それは生命体の無意識チャンがなせる業だと思う。
全員が夢中でお片付けをしていたらどうだろう。
たとえば、そこで何か危機的な事が起きたとする。
天変地異とか、何かのトラブルとか、
そんな時に全員がお片付けに意識を集中していたら、
その異変に素早く気がつく人がいなくなる。
それは種の保存本能からして、よろしくない。
全員が、がむしゃらに同じ方向に意識を向けることはよろしくないのだ。
鵜かいの鵜が全員、がむしゃらに漁にいそしんでしまったら、
何かあった時に体力を温存してるものがいなくなる。
それは、何かあった時には全滅してしまうということだ。
それを避けるために、無意識チャンはバランスをとる。
世の中は経費を削減するためにリストラなんてやるけども、
会社でぷらぷらしてるとリストラ対象になりやすいのかもしれないが、
なんとなくプラプラしてる、という人が集団には必ず必要なのだ。
昔は貴族とかは常にそういう存在だったかもしれない。
いつもぷらぷらして、遊んで、ゴロゴロしてたんだと思う。
今はニートとか、
仕事ができるはずなのに働かない人、怠け者なんて言われ方をしがちだが、
こうした人達の、無意識的な働きを忘れてはならない。
「働かないでずるい」なんて思想がある人は、自分がニートになったらいいのだ。
昨日は私の友人が、天命と繋がるということは決してそれが仕事になるとは限らない、でも
天命に繋がったならば、それによって大きなネットワークができるだろう、というようなことを言っていた。
素晴らしい河童の御言葉だった。(なんすか、その河童の御言葉ってw)
天命とは仕事とは限らない。
自分の生を生かす方法は、
「仕事をしないで本やDVDを見てゴロゴロしてることだ」という事も、ないわけではない。
そうした人の存在が、私たちの無意識チャンの中で行っている一定の役割というものに目を向けてほしいと思うのだ。
私たちは普段は個人だけども、
時に個人ではなく、巨大な生命体の一部なのだ。