ショパン、シューマン、リスト――特に初期はそうですが――は、
効果を狙って書いています。
彼らは、ある意味で、公安を乱すために音楽を用いているのです。
その音楽がどれほど洗練されたものであろうとも、です。(ショパンがいい例ですが)
騒乱を導くことの方が形式上の要件より優先されるのです。
グレングールド
上記はグレングールドの言葉だ。
音楽家はいつでも革命家である。
この世の不正を憂い、
真実は何かを求めた。
真の幸福とは何か、
人間とは何か。
音楽にはそこにたどり着くヒントが沢山ある。
そして
より高次と繋がる為の道筋がそこにある。
革命家でない音楽家はいない。
世の中に対し、疑問を持たない音楽家はいない。
ショパンだとて、
夜な夜な遊び歩きながら、
身体がボロボロでも夜遊びし、
身体がボロボロなくせに、
白い手袋なんかしちゃって恰好つけて遊びながら、
公安と戦うのだ。
世に疑問を持たなくなったら、
人生の謎に興味を持たなくなったら、
音楽を作る必要はなく、
音楽家でいることはできない。
その時は音楽家からリタイアし、
別のことをして生きるのだ。
音楽家である我々にとって必要なのは、
上下関係ではない。
必要なのは、前後左右関係である。
友愛と自由。
それが前後左右関係なのだ。