水素48の私達にとって、(水素48とは一般人のことです。)
楽とは何かと言いますと、自由で、「なになにすべき」から解放されていて、
飲んで食って、楽しく過ごして、頑張るとか、達成するとかから自由になることが
楽だと思っています。。
「そういうのが楽ですね」っていうのは水素48の思考であることに気が付いてください。
まず、「楽になろう」という思想そのものが水素48以下であることに気が付いてください。
そして苦楽を二つにわけて、楽を選ぼうという発想そのものが、
二元的であることに気が付いてください。
水素48とは一般人の思考です。
48は一般の人間の思考の速度。合意的現実の世界で、すべての人に説明するのには48でないと通じない。24は専門家的悟り。48の考える速度よりも、速く行動し、処理できる意識状態。専門家、達人にしかわからない、一般では思いもよらない思考でもある。48より高速で、注意も行き届いている状態。
水素24の専門家的悟りに至った人を、
水素48の人からみれば、非常に縛られた感じがするでしょう。
昨日、例にあげた、ガウディを考えてください。
ガウディは水素24を超えています。水素12にも達していると思います。
彼の一生を考えた時、水素48の思考で考えるならば、
サクラダファミリアを完成作らねば!と思い、多大な労力をかけて、
寝る暇惜しんで作成しています。死後も作り続けているわけです。
そうした活動は水素48の人からみれば、縛られた生活であり、
ネバ!と達成せねば!と、そうしたがんじがらめな感じがするのでしょう。
しかし、水素24の人に、苦も楽もないのです。
それは48の人からみたら「苦しくみえる」というのにすぎません。
つまり、水素24に入るというのは、水素48からみれば、
苦しみの極致みたいな、固まった世界に感じるでしょう。
苦行の果てに感じるでしょうね。
スケート選手とかみてください。
毎日毎日、足がどうかしてしまうほど練習し、腰とかガタガタかもしれません。
そうした人を非二元を学んだ水素48の人は、
「苦労してて、バカっぽいね。もっと楽に生きればいいのにね。
練習とか無理にすることないのにね。」というのでしょう。
しかし専門家となって、水素24のたどりついているスケーターにとって、
苦とか楽とかないのです。
彼らはそこにたどりついているか、
もしくはそこにたどりつく努力をしている人達なのです。
そして、普通の水素48の人が決して知ることも触れることもできない、
専門家的な悟りへ向かうでしょう。
彼らは別の崇高な世界に住んでいるか、またはそこへ向かっているのです。
水素48の一般人が水素24に至るには、
結局は、専門家になるための多大な練習が必要です。
そうして24にたどり着いた時には、苦も楽もない崇高な世界にたどり着くのです。
その世界にたどり着きもせず、
努力は無駄、達成とか無駄、寝て、食って、好きなことしてればいいんですよ。
これが非二元だとか・・おかしいです。
苦楽を分けて、楽を選んでくという発想が、二元的であることに気が付きましょう。
グルジェフ体系になじんだジョン・C・リリーの言葉を借りれば、専門家的悟りの意識だといえる。たとえばあるひとつの仕事に練達した人は、必ず常識では納得できない不思議な能力を持っている。レーサーが驚くべきスピードで、すでに脳の認識力では追跡できないはずの路面を冷静に観察し、正確に車を運転する能力などだ。また優れた武道家や兵士が、あるとき砲弾が自分に向かっているのを肉眼で見たりする、という例もあげられる。一瞬でも通常の「考え込む」状態に入ると、この危ないところを綱渡りするような優れた能力は失われる。レーサーはその瞬間事故を起こす。人はひとつの仕事に熟練することで、この水素を蓄積する。独特の高速の意識だ。
(グルジェフの「超人思想」の謎より)
レッスン12です。
私が動揺しているのは意味のない世界をみているからである。
私は自分が恐ろしい世界、危険な世界、敵意ある世界、
悲しい世界、邪悪な世界、狂った世界を見ていると思っている。
けれども、私が動揺しているのは、意味のない世界をみているからである。
もう、本当にその通りです。上記をみてわかるように、
このレッスンが対象としている感情が、水素96であることが分ります。
恐ろしい世界、危険な世界、敵意ある世界、
悲しい世界、邪悪な世界、狂った世界、
これらは水素96です。
怨念の世界ね。
私達は、なんだかんだいって、こういう水素96の世界にもすぐ陥ります。
酷い目にあった!と思ったりした瞬間に、もう水素96です。
そんな時には、自分が意味のない世界を見ていることに気が付くことが重要です。
はい。今日は内臓探索講座です。
ご参加の皆様は後程お会いしましょう!
結構、雨降ってますね~。