ブルースモーエンの死後探索マニュアルの本に「意図を定める」というワークが出ている。
詳しくは本を読んでもらえばわかるのだが、
軽く説明するなら、アファーメーションや暗示文を唱える時に、
人が何かを予期する時の感覚を故意に使うというテクニックだ。
この予期感があるかないかでは、暗示が実現する力が圧倒的に違う。
私はこのモーエンの意図を定めるワークを初めて知った時に、
「この人は天才だ」と思った。
もちろん、私はこのテクニックを常々無意識に使っていた。
でも無意識に使うのと、意識して使うのでは圧倒的な差がある。
それは体験してもらえばわかる。
ピアノの演奏でも、野球のピッチングでも、無意識にやってることはいつか崩れる。
意図してできる、これが本当の実力だ。
この前、松村先生がある、もう亡くなっているD氏と自分はツインだと言っていた。
私はこの発言が結構衝撃的だった。
たとえ、自分がそうだと自覚があっても、
今の自分ではきっとそうだとは公言できない気がするが、
先生が公言できるというのは、圧倒的にそれを支えるなにか「自覚」というのがあるんだろう。
私はそこに、ある秘密というかヒントをもらった。「それだ!」というものがあった。
ドルダメル様が日本に初来日した時に勇んでコンサートに行った。
そのドルダメルのマーラーを生で聞いたときに、「ああ、私は音楽の秘密を知った。」と思った。
ここに、こういう風に、こういう形で、音楽の秘密というのが存在するんだ、と思った。
一緒にコンサートに行ったどらちゃんにそう言ったら、??という顔をされたけど。笑
どらちゃんの演奏をこの前聞いた時に、それは衝撃的だった。
ああ、「なりたいものになる」というのは、こういう色で、こういう匂いで、こういう風に存在するんだ、ということを知った。
彼女が自分の願望を実現して行くときの、その葛藤と喜びその匂いを肌で感じたのだった。
先生とドルダメル様とどらちゃん、この人達に共通するのは、意図の発し方が爆発的ということ。
それ以外の言葉はない。
爆発的な意図、その美しいこと、このうえない。
きらきらして、ここに存在する。
みんなも、早くそれに気づけばいいのに。