それで、「おかしいとおもうべきだ」という話ですが、
例えば、自分が精一杯努力しているにもかかわらず、
結果がでないとか、評価されないとか、
そうしたときに、
「まぁ、世の中こんなものだよね、と納得してはいけない」という話です。
その時に「おかしい!おかしいよ!と思ってみなさいよ」というお話しを,
私は聞いたのですね。
この「なんかおかしい」と思うのってとっても大事じゃないかと思うのです。
自分はもっと評価されて良いんじゃないかと、自分が本気で思う時にこそ、
その評価がついてくるんじゃないかと思うんです。
私には、この人はもっと評価されて良いんじゃないかという思う友人が何人かいます。
とても才能があって、絶対に評価されるべき。
だけど、それを他人が思うよりまず、自分で自分に対して思わないといけないのだと思います。
その感覚は、「私はこうなりたいです!」というような大断言的なアファーメーションより
効果が高い気がします。
問いには必ず答えがかえってくる。
何故?という疑問には、必ず答えがかえってくるものです。
問いを発すれば、私たちは意識的にも無意識的にも、ずっと答えを探してしまうものです。
つまり問いには答えを引き寄せる力がある。
例えばお金を稼ぎたいという人ならば、
「なぜ、自分はお金持ちじゃないんだろう?おかしいじゃないか?」という疑問を持つ。
このオカシイという感覚を持った時に、現実は様々な修正をかけてくるんだと思います。
多くの場合、おかしいと思う前に「こんなものかな」と納得してしまう。
お金ないけど、ま、こんなものだろう・・まぁ、暮らせればまぁいいか、等々。
何か、自分が実現したいことがあったら、
まず、おかしいんじゃないかと思う感覚、是非使ってみるといいのではないかと思います。
今の現実に納得していない場合、それはどこかおかしい。
まずは「おかしいな」と思わないと、現実は変わっていかない気がします。
昨日の続きですが、
文字がだめだった私は小学校6年生になった時にも、まともに教科書が読めなかったです。
これは、今は平気でこういう場所に書いてますが、
トラウマ級です。トラウマ級ですよ、奥さん!
私は口だけはマトモな事を言うし、理屈で筋の通ったことを言うので、
学校の先生とかにはとても意地悪された気がします。
お前みたいな馬鹿が偉そうな事を言うな的な感じです。
それでも、私は先生や学校から受ける評価のようなものに対して、
断固、それはおかしいと思っていたと思います。
私が字をまともに読めるようになったのは中学に入ってからでした。
でも、それから勉強しても全然間に合う。
これ、本当です。
いつも通知表が2と3しかない人だったのに、
真面目にテストが0点とか、取っていましたけども、
私はその後、偏差値69あった高校に受かりました。
大人は、今勉強しないと遅れちゃうとか、
小学校の時が重要だとか、色んなことを言いますが、
若い時は関係ないと思います。
その気になった時が伸び時で、常識とか噂とか関係ないです。