究極的に、
私は一体なにがしたいのか、何を求めているのか、
最近、ずっとそんなことを考えていた。
そして思った。
人はたぶん、生きていながら死を体験したいのではないかと思う。
生きていながら、心が身体が遠く溶けていくような死を体験したいのだ。
私をどこかに連れていく音楽。今ではない、ここではない、はるか遠くの、あの世界、
それは死だ。甘美で、溶けるような美しさだ。
音楽家はいつでも、この世を突き抜けたあの世へと、意識を拡大化させて音を作る。
それを、私たちは感じたいから音楽を聴くのだ。
若い男女が知り合って、
感じ合うときに、その隙間に見るものは死だ。
小さく何度も死んで、あの世をそっと垣間見る。
一人では決して見る事のできなかった、
あの世を垣間見るのだ。
子供を産むとき、
昔は沢山の人が、出産で死んだ。
出産は命がけの仕事だった。
今は医療の発達によって、出産で死ぬ人は減ったとはいえ、
人がこの世に生まれる瞬間には、
部屋中に死の匂いがする。
もう、すぐそこに死があると私は思った。
出産は、「この線から向こう側は死です」
という端まで行く体験なのだ。
その死の向こう側から人は産まれてくる。
その甘美さは究極的だ。
次元の蓋があく瞬間だからだ。
私たちは、生きていながら、あの世を感じたい。
ああ、そうか、私は死を感じたいのか。
生きていながら、あの美しい世界を垣間見たいのだ。
それをようやく言語化できた私は、
非常に納得して、
言語化できたと同時に、
今までにあった、妙な焦燥感から解放された。
昨日も7キロ歩いてみた。
だいぶ身体が慣れてきた感。
この停止時間12分というのは、途中でユニクロで買い物した時間。笑
・ ・ ・ ・
だから、私は・・
そして、この世でない、あの世の世界をそっと、誰かに見せるんだ。
私の仕事は、そうでありたいとねがう。
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