太陽系ボディでの認知

私たちは自分のフィルターを通してしか世界を見ることができない。
たとえば、誰かが「君に100万円あげるよ」と言ったときに、
その100万円を見て思う事は人それぞれである。
「え、たった100万なの?」とか
「 やった!100万だ!」とか
「いや、100万なんてもらえない」とか、
100万円という物体がそこにあることは変わらないのに、
変わらないのに、その100万がかもし出すストーリは全く違う。
それはその人の育ちとか、経済状態とか、それらがその人の背景画となって、
100万円に対する認識を変化させている。
昨日は三次元ホロスコープの本を読んでいて面白いなと思ったこと。
それは、地球君からみた水星君の背景画と、
太陽さんからみた水星君の背景画が違う、ということは、
その背景画がフィルターなのかなと。
例えば、私の水星は地球からみれば、水瓶15度の絵をしょっている。
しかし、太陽からみれば、水星は蟹座の13度なのだ。
それは背景画の違いである。
ならば、水星そのものの、そのピュア―な水星って何だろう。
ピュア―な100万円は、それをそのまま認識しようとしたら、
そこには人が個々に感じるフィルターと、
人類がそこに付けた意味としてのフィルターとの2種類がある。
人が個々に感じるフィルターを除いたら、
100万は、まぁ、100万だ。1万円が100枚ということだ。
人類がその物体につけたフィルターを除いたら、
その物体は、人類の印刷技術を駆使した「ただの紙」とも言える。
つまり、フィルターの無い、ピュア―な100万は意味も価値も失う。
そうしたら、その物質はこの世に存在できなくなるだろう。
そうか。
背景画の無い水星は、その意味を失い、存在すらできなくなるのか。
水星が水瓶15度ですというのは個人が水星に対して持っているフィルターだ。
太陽からみたら、蟹座の13度です、というのは、
大きな私が持つ水星に対するフィルターだ。
水星そのものは、人類全体の集合無意識に「言語」という意味を付けられている。
この言語という意味づけをされている水星が、その意味を失ったら、
水星は存在できず、崩壊する。
その時、私たちはどうやって言語を維持するのだろう。
そう考えていくと、この太陽系そのものが、
人類の集合無意識が、支えているものなのだろう。
太陽系そのものが人類であり、
その中の言語という感覚はあの水色の素早く回る水星という天体がぐるぐる回ることが、
言語ということなのだ。
そこには私たちが普段認識する言語感覚の表現とは全く違う、言語表現がある。
その言語表現は「水色の天体がぐるぐるまわる」という言語表現だ。
それが「話す」という行為なのだ。
それはわたしたちの人類の集合無意識的表現であり、
もし太陽系というボディを獲得したときには、
宇宙というのは、また全く違うデザインで認識するにちがいない。
その時、星がぐるぐる回ってるなんていう現実を認知することはないはずだ。
それは私たちが普段人を見る時に、人間の「細胞の形」を見る事がないのと同じで、
人間は「人の形をしている」と認識している。
「惑星がぐるぐる回っています」とかいう認知は、
人間の細胞が見えます、とかいう認知と同じだ。
太陽系ボディを獲得したときには、絶対にないだろう。
(いや、絶対かどうかはわからないけども)
その時、水星ぐるぐるなんてのは、
自分の肉体の中で起きていることとなる。
目にすることはないだろう。
では、その時、我々は何を目にするのだろうか。
そこは知覚をうんと伸ばして、見てみるしかないね。
今日は雪ふるって本当ですか。
今日は一日、インナープラネタリーの教材書きだと思う。
また、前回とは違う、さらに深めた内容でまとめたいなと思う。

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