昨日は、ちょっと泣いた。
実家の家族関係の事で、
わたしはまた、「母が可哀相だ」という思考に陥っていた。
可哀相で可哀相で可哀相で、
泣いた。
そして思った。
そうだ、わたしはずっとずっと、小さな子供の頃から、
そう思ってたなって。
母は可哀相な存在で、
自分がそれを守るんだと思っていた。
そして、ふっと思った。
「いやまてよ」
「わたしは、起きた現象を必ずこのストーリーにぶち込んでないか」と。
そして、跳ね返るように、気づいた!!
そう! わたしはいつも、このシチュエーションで起きたことを、
このストーリーにブチ込んでいたいのだ!!
物事にストーリーなど実はない。
ストーリーに仕立ててるのは自分。人間。
でも現象にはそんなストーリーは存在しないのだ。
現実は、〇と、△と、✕と、□と、◇と、◎ と etc…..
というような記号で出来ている。
つまり、 家、 男、 草、 魚、 みたいな感じだ。
単語といってもいいかな。
で、家、男、草、魚、という単語を見た時に、
必ず自分はあるストーリーを作るということだ。
今回のわたしの作ったストーリーに出てきたのは、
母、兄、自分、家、
みたいな感じで、これらの単語が集まると、
そのまま「母が可哀相」というストーリーを仕立てあげてしまう。
ひょぇええー!と、わたしは思った。
そして思った。
わたしは新しい選択をしよう。
新しいストーリーを選択しようって。
それは、わたしにとって、前人未到のストーリーだ。
それは、
新大陸発見くらいの、空前絶後の展開なんだ。
私たちは、このストーリー作りに今まで没頭してきた。
地球はストーリーの塊だ。
たとえば、占星術とかは、単語をみてストーリーを作るという作業だし、
それこそが地球の在り方だったのだ。
女性、うお座、金星 でストーリーができてしまう。
このストーリーが作れなければ、立派な占星術師ではないし、
実際こうしたことで人生はできている。
タロットなどもそうだ。
ワンドのエースに、コインのキングに、太陽正位置、とか
って出てきた時にストーリーをつくる。
そして、このタロットと同じことを、
わたしたちは日々、脳内で行っている。
母、兄、家とかってなると、
「母可哀相」とかとかとか。
この脳内タロットを組み替える時がきた!とわたしは思った。
タロットに貼りついた意味をそのまま追っていること自体が、
自分を閉じ込め、どこにも自由にしないという意味なのだ。
新しい選択は、今ここに!
前人未到の選択は、今ここにある。