若き音楽家の夕べ 美しいということ



うわぁあん。なんて綺麗なんだ!

この人は本当に野生の勘でピアノを弾いている。
理屈とか計算とかではなくて、
いや、もちろん色々本当は頭の中ではしているのだろうけど、
いつもとても、直感的なその場の感性で弾いてる感じの演奏だなと思う。
100回弾いたら100通りの演奏があるのではないかと思わせるような。
だから、毎回の演奏が生き生きと生きている。
彼の演奏は「いまここに」という演奏なのだ。
ああ、そうそう、こういうのをグラウンディングというのかもしれないと、
私は今こそ悟ったような気がする。
その音を奏でる瞬間に、そこに風景、情景、心と感覚がある。
だから、どこにも死んだ音がない。
それでいて、とても適当だ。
それは悪い意味でではなく、
この適当さは、
本当に高い位置から、楽々音楽ができる人でないと
この適当さ加減は得られない。
いろんなことすべてがそうだなと思う。
精一杯やってるうちは、まだまだ先は遠い。
先っていったいどこ?と思うけども、
先は先だ!
全ての肩の力が抜けて、
らくらくこなせるようになって、
その時にこそ、真の輝きを手に入れるのだろう。
しかし、それは私にとっては、まだまだ先だという気がする。
いつかこんな、
適当で美しい、風景、風合いがそのままの、
野生の花がそこに存在するのに、何も努力はしてないみたいな、
そんなふうになれたら、いいね。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加