物事の本質を理解するには、言葉に惑わされてはいけない。当たり前だが、言葉は言葉でしかないのだ。「甘いチョコレート」と言ったところで、その甘さやチョコレートのほろ苦さは言葉で説明できるだろうか。できるわけがない。チョコレートの味を言葉で説明するなんて無理だ。それがどんな味なのかは食べてみなくては理解できないし、食べて理解したところで、それを言葉で表現するなんてのはもっと無理なのだ。万事がそうである。これは「味」を感じるスピードとそれを「言葉」で説明することのスピードがまるで違うから起きる現象だ。
前世療法や前世を体験した、と言ったところで、それは言葉では説明がつかないことが多々ある。ほとんどの体験は感情や感覚のほうが先に入ってくる。音よりも光のスピードのほうが速い。雷はピカッと光ってからゴロゴロと鳴るのだ。それは光のほうがスピードが速いからだ。音のほうがより物質に近く、光は高次だ。ピカッと光った時にそこで何が起きているか。雲の中で静電気のようなものがおきているわけだが、それをいち早く伝えてくるのは光のほうである。光の方がスピードが速いからだ。
これと同じようなことが前世療法でも起きる。なんかわからないけども先に涙がでてしょうがない・・・というような体験だ。あとから、「これはどうやら○○ということがあったようだ」なんてことがわかってくる。感情のスピードが速いのは高次感情は水素12でこれはスピードが速い。普通の思考は水素48だ。水素12を水素48で説明するには、スピードの違いから言って無理がある。水素12の感情は言葉をゆうに超えている。
雲の中で静電気が起きました。それは最初に光で伝わってきたけれども、後から音で伝わってくる。この二つの伝わりで雲の中の静電気そのものを本質的に理解するには、結構難しいものがある。
しかし何かが起きたということを想像し、光と音でどうやらすごい摩擦があるらしい。。と想像する。物事の本質を理解することは、かのように難しい。 しかし、最初にピカッと光ったことを受け取らずして、本質にたどり着くのはもっと難しい。
スピードの遅い言葉を追って行っても、より高次の感情や思考へはたどり着けない。要するによりスピードの速いものに焦点を合わせなくてはいけないのだ。そうしなくては、本質にはたどり着けない。
しかし、本当に水素12で受け取れている人ならば、それを水素48の言葉でなんとか説明することは可能だと思う。足の速い人は遅くも走れるのだ。 でも足の遅い人は早くは走れない。
前世療法などで、パン!と入ってきた感情があったら、それに追従して走ってほしいと思う。その走行方法がわかれば、あなたはより高次な次元と合わせて生きることも可能だろう。