地味だけど大切なこと

昨日はすごく久しぶりにTVをみた。
シャラポア物語っていう番組。


テニスのシャラポアとお父さんの並々ならぬ努力が心に染みた!
子供の才能を伸ばすために、誰も知り合いなどいないのにアメリカまで渡り、
何の保証もないのにテニススクールに通える日を夢見て朝から晩まで働き、
努力に努力を重ねるとか、凄すぎる。
バイオリニストの五嶋龍のママ節さんを思い出した。
あのお母さんもすごかったけど、シャラポアのお父さんもすごい。
五嶋龍と五嶋みどりの母である節さんは、
節さんご自身がバイオリンを子供に教えているので、
彼女は子供にチャンスを与えるだけでなくバイオリンの教師でもなければならなかったので、
ちょっと親子関係が痛い。
子供が逃げ場を失ってそれでもバイオリンを弾くしかないという場面が痛すぎる。
シャラポアの場合、そういう葛藤がなさそうなのが素晴らしいと思った。
美しいし素晴らしい。
こうした圧倒的に自分を生かす人は、
火に自分を投げ入れるみたいな、
そんな壮絶さがある。
こうした人には必ずと言っていいほど、
ブレイクスルーする前の闇の時代があるなと思う。
極貧生活とか、いじめとかかならずついて回る。
そして、やっぱりどんなに壮絶でも「毎日かかさないこと」というのが圧倒的に生きてくる。
どんな状況下でもかならず、やり続けている。
気分のムラや、時間がないからとか、そうした理由でくじけてないのだ。
毎日やらない人は絶対に何もなしあげられない。
何かを為す為さないというのは、お金や名誉を得るということとは関係ない。
それは自分の生命をどこまで引き揚げられるかという問題だと思う。
それができれば、運がめぐってきたときにはお金や名声に繋がることもあるだろう。
その下地がなければ、どんなにチャンスがきてもお金にも名声にもつながらない。
番組では「毎日やることだ!」なんて地味な話はしないし、
壮絶な極貧生活にしかスポットを当てないけども、
結局は何が一番の決めてですか?といえば、
「何の保障がなくとも地味にやり続けたこと」ということだと思う。
かくいう私が毎日欠かさない事ってなんだけ?と思うと、
なんだったかな?とか思わないでもないが、
ヘミシンクCDは毎日聴きます。笑。あまり努力はいりません。
意識の旅をするというのは私の仕事ですし、
それが仕事じゃない人にとっては、ヘミシンクCDを毎日聴くとかバカバカしいと思いますが、
他人からみていかにバカバカしくても、私にとってはそこは必須です。
それができないなら、こんな仕事辞めてしまえと、私は自分に言いますし。
それと人を相手にする仕事をする人ならば、
自分のコントロールというのは必須なので、
そうした仕事で良い仕事してる人というのは、
ヘミシンクとか瞑想とかを必ずしてますね。
これは良い仕事してる人は必ずしています。
何でも良いと思うのですが、人に言われたことではなくて、
誰かにやれと言われたようなことではなくて、
自分の意志で自分に課す、こういう事ってとっても大切。
地味だけど大切だと思います。
それは、めっちゃ苦しいトレーニングである必要はないと思うのです。
本当に些細な事でも良いと思うのです。
そこが積みあがっていくと、受信する器になる。
霊感とか直感とかヤマ勘とか、そういうものはその器がないと
正しく作用しないのだと思うのです。暴走する。
なので、音楽家の人を何人も個人セッションしたことがありますが、
こうした人達は、毎日トレーニングを積んでいるので、
受信の器ができている。
だからビジョンの純度が高い。絵を書く人もそうです。
自分の中から湧き出るビジョンへの集中力が違うのです。
どんなことでもいいので、毎日欠かさない事というのを決めて、
積み上げていくと、
そこがベースになって色んな事ができるようになると思うので、
是非、チャレンジしてもらえたらなと思います。

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