菊地さんの事を書くのはまだ時期尚早の気もするのですが、
でも、書いておきます。
今のこの時を書いておこうと思います。
菊地さん、
あなたが亡くなったその日、
私は死体を掘り起こしてお葬式をするという夢をみていました。
今思えば、あの悲しみは、
あのインドの歌はあなたに歌っていたのかもしれません。
あの日も、私は、「人生は短い」というなんかそんな思いでいっぱいでした。
丁度ブログにもそう書いていたよ。
http://kamiera.blog.fc2.com/blog-entry-473.html
あれは菊地さんから流れ込んできたものだったのかもしれません。
私が菊地さんの初めてお会いしたのは、
わすれもしない2012年の金星環の日。
2012年の6月6日のあの日に菊地さんのセッションを受けました。
セッションを受けたのはこの一度きりです。
その日程を菊地さんに示された時に、
なんだかとても特別なセッションになるんだなと思いました。
菊地さんのリーディングはとても不思議でした。
私は思いもよらない人の名まえを次々と言い渡され、
そして不思議なことに、後でその人を調べると、
名まえの出た人と私は、どこかに必ず天体の合がありました。
私の魂のレベルでのつながりのある人との見えない糸を彼はみていて、
その糸を手繰り寄せるような感じでした。
そのセッションのあと、私は、一日ぼーっとして、
そして、教えてもらったことを調べて、
本を買いあさり、
自分にそんなルーツがあったとは、、と
ただただ驚くばかりでした。
そして不思議だなぁ・と思ったのです。
この世にはこんな世界があるんだ・・という感じです。
私は、その時、生まれて初めて、こうしたセッションを受けたので、
ただただ、目の前に広がる新しい世界に驚いていたという感じでした。
その後、夏ごろかな? 別な理由でお会いして、
その時は、もう、ヤバイほど痩せてて、交通事故の後が生々しく、
おもわず「ちゃんと食べてますか?」とお尋ねしたほどでした。
菊地さんは「たべてません」と普通にお答えになった。
風がふいたら飛んでいきそうな菊地さんがいました。
その、夏にお会いしたときは、
菊地さんは一つのセッションをするのに、
一週間も部屋にこもりっぱなしでサーチを続けると言っていました。
身体に悪いし、精神状態も大変なもので、
こんなに身を削ってがりがりになって、この仕事を続けているのは大変すぎて、
なんか他に方法はないものなのか?と私は思いました。
私は、一応セラピストですから、
何か方法はないかとすぐ思考するのですが、
そんな私に菊地さんは
「解決することが求められているわけではなのです。」
「人には色々な気分がありますから、楽しい時もあれば、楽しくないときもある。
人の気分はどこかに固定されているわけではなんです。」
と私に優しくおっしゃったのでした。
どこまでも知的でピュアな菊地さんがそこにいました。
その時は、これから実家に帰りますと言っていたので、
御実家でゆっくり静養なさればいいなと、私は思って、
あまり心配はしていませんでした。
去年の2013年の春と夏に菊地文人さんと吉田結妃さんの瞑想会に行ってきました。
その時の記事はこちら☆
この記事の時の菊地さんはすごいハイテンションで、
記事にも書いていますが、
松村先生の口調マネとかも飛び出して、
「菊地氏も走ったほうが良いのでわ!」とかって
なぜか松村先生の口調をマネするときだけ、身体を棒みたくして、宇宙人みたいで、
「我々は、宇宙人だ」みたいな口調で言うのです。
ええっ!?先生そんな棒人間で宇宙人だったっけ?爆笑! みたいな感じでした。
「最近、私も走ってるんですよ!」と言って生き生きとしていました。
瞑想会が終わってから、私と吉田さんと菊地さんの三人でお茶しに行き、
でも菊地さんはこれからセッションがあるからと急いで向かわれました。
「ええ?これからセッション?」びっくりでした。
講座というのは結構神経も使うし体力も使うし、
その後に、あの、過酷なセッションが、、
菊地さんが一週間もサーチして体力も精神力もぎりぎりになってやるようなセッションが
あるとはびっくりだったのです。
その頃、菊地さんはご自身のブログで、セッションは休業中と書かれていましたので、
まさか、まだセッションしているとは知りませんでした。
私がそう聞くと
「まぁ、お断りできないので」
と菊地さんらしいお答えが返ってきました。
そっか。お断りできないよね。そうだよね。そうかもしれない。
菊地さんの性格から言って、お断りはできないよ。
菊地さんは自分を求めている人がいれば、
それに懸命に答える人だったと思います。
その後の夏にお会いしたときは、お引っ越しをした後だかなんかで、
前のマンションは住居環境が最悪だときいていましたから、
お引越ししてだいぶスッキリしたのかな?と思いきや、
あまり調子が良くなさそうでした。
私は昔から人の体調にはものすごく敏感で、
これは私の母が、私が子供の頃にノイローゼだったので、
そういう観察力を子供のころに修得したのだと思います。
夏の時は吉田さんと私と菊地さんと三人で神楽坂の喫茶店でぼーっと、話をして、
調子が悪そうな菊地さんでしたが、
私は菊地さんのホロスコープをみながら、
もうすぐプログレスの新月ですね~。
新月超えたらちょっと楽なんじゃないんですかぁ?
なんて私はのんきなことを言っていました。
調子が悪い人に、そんなのんきな話は
あまりするべきじゃなかったかもしれません。
その後は一度、念写の会にお誘いのメールを菊地さんからもらって、
でも仕事が入ってて行けなかった。
一番最後は、去年の秋に吉田さんと千駄ヶ谷の喫茶店でミーティングしてたら、
菊地さんがセッションしてたというのがありました。
その時も、わざわざ私たちの席まで来てくださって、
「お久しぶりでございます。」とあの笑顔でご挨拶してくださったのでした。
菊地さんはチャネラーであると同時に
ヒーラーだったのではないか、と私の友人が言います。
そうだなぁと思います。
菊地さんはヒーラーだった。癒しの人だった。
私が会う時の菊地さんはいつも、
儚く危うい感じがしました。
なぜかいつもそういう時に会っていたのかもしれません。
菊地さん、
ゆっくり休んでください。
見えない世界を私たちに教え、示してくださったこと、
本当にありがとう。
私は、ずっと、ずっと忘れないと思います。