覚者になるか、ならないか

7月27日、惑星ヒプノ・残席一名です。今日が締切りです。
人は正しい人格がなければ、
どんな霊的能力も、どんなリーディング能力も
意味がないどころか、
それは、人を陥れるものになってしまいます。
人格がないままに能力があるのであれば、
それは執着になります。
執着というのは恐ろしいものです。
誰の心にもあります。
私の心にもある。
しかし、この執着は、
自分自身に向けられている場合はいいのですが、
他人に向けられた執着は、
ただただ、あやまった方向に人を導く
そうすると、どんな愛も優しさも人格も、人徳でさえ、
一変してそれは、暴力のようなものになってしまいます。
ストーカーとかはそれの最たるものだと思うのです。
しかし、誰の心にもこの執着心というのはある。
これを克服するつもりになるかならないかは
自分次第です。
人に執着して生きるのはたやすいです。
放っておけば人の心はそう作動するからです。
しかし、人に執着している以上、あなたは自立できません。
自立できないということは自由でない、ということです。
あなたは自由を手に入れるか入れないか、
この人生で覚醒するかしないか、
それはこの執着心のコントロールが鍵をにぎっている。
なぜなら、覚者というのは、
自分の力で自分の人生を生きる人の事だからです。
誰かに依存している間は、覚者になれないからです。
その事についてはまた次回。

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