神と出会う力。感動する力。

【人間の構成要素】 BY シュタイナー
①物質体(肉体)
②生命体(エーテル体)
③感覚体
④感覚魂(③+④=アストラル体・魂体)
⑤悟性魂
⑥意識魂(「自我」は⑤と⑥の中にある)
⑦霊的自己(マナス)
⑧生命霊(ブッディ)
⑨霊的人間(アートマン)
自我は悟性魂と意識魂の中にあるのか。
悟性魂と意識魂の説明はこちらにあります。
http://komichi.blog.bai.ne.jp/?eid=104493
シュタイナーは、
人がより霊的に進化するには、畏怖の念が必要だという。
今や、宗教というものは何か忌み嫌われるものと化したが、
それは、歴史的に良い事してきてないからであるが、
(宗教はとかく拝金主義だったり、権威主義だったりしてきたのだ。)
しかし、もともとの純粋な宗教というものは、
ただただ、畏怖の念から発したものと言えるだろう。
太陽の光に心打たれ、風に悠久の時を感じ、
満点の星をみて、ロマンを駆り立てられ、
自分が遠い宇宙から来たことを感じ、
神の存在を感じ入り、
身も心もとろけるほどの畏怖の念に包まれると、
人は神秘体験をする。
そういう風にできている。
感情がきちんと機能していないと、
神の体験が難しくなる。
感情が機能するとは、
別に喜怒哀楽を激しく表現するとかではない。
感情機能は、何かに感動できる力だ。
感動する力はいつでも強烈なエネルギーだ。
その心が揺さぶられる感動を伝って、
神の意識はなだれ込んでくるのであるよ。
もし、神に出会いたいならば、
感動する力を養わないとならない。
無感動からは何も生まれない。
悟りを得て、鬱とか、
それ悟りじゃないから。爆
それは無感動になっていて、
神とは程遠い。
そして、自我があるから鬱になるのではない。
感動する力を失ったから鬱になるんだ。
むしろ、感動するには自我が必要だ!
感動する力は神と直結している。
だから、悟って鬱とかいう人は、
その線を断たれて、鬱になっているのだ。
それは自我を手放そうとするから、無感動になり
結局は神と断絶を起こすのだ。そして鬱になる。
そういう仕組みなのだ。
神と繋がるには自我なんかあって構わない。
しかし神と繋がれば、
自我は自然に神が溶かす。
自分で自我を捨てるなんてことは目標にしなくていいし、
そんなことはしなくていい。
自我があるから悪いとか辛いとか思う必要もない。
それは神の仕事だからだ。
私達がするべきことがあるとしたら、
それは感動することなのだと思う。
それが神と繋がる道なのだ。
人は無意識にそれを知っている。
だからいつでも感動を求めている。
そして映画を作ったり、音楽を作ったり。
それが神に繋がる手段だと知っているからだと思う。
そしてそれに成功し、感動した人が、神に出会い、
自我は神が溶かす。そういう仕組みなのだ。
感動せよ!
私達は、自分で自分に感動できる。
自分は自分にとって、
世界でたった一人の最高の英雄になれるのだ。
誰もが世界最高の英雄になれるのだ!!
英雄になろう!そして感動しよう!
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