昨日BSでショパコンのドキュメンタリーをやっていた。
ピアニストのドキュメントというより、
ピアノメーカーのドキュメンタリーだ。
メーカーから派遣された調律師たちの熱き戦いのドキュメンタリーだった。
私はこのドキュメンタリーで
今回のショパンコンクールに
FAZIOLIがエントリーしてたことを知った。
FAZIOLIは2010年のショパコンでは、
一世風靡したと思われたし、
その圧倒的な鳴りのよさに、
他のピアノがくすんで感じられ、
結局はファイナルに残った人の多くがFAZIOLI選択者だったのだった。
それが今回2015年のショパコンでは全くFAZIOLIをみなかったので、
ショパコンにエントリーするのをやめたのだなと勝手に思っていた。
そしたら、FAZIOLIは存在していた。
そして、たった一人の中国の女性のピアニストしか使用しなかったという。
その中国の女性の旦那さんは、2010年のショパコンでかなり話題になったユーリーという人だった。
2010年のショパコンに登場したユーリーさんは、もうすでに巨匠のような風格をもち、
巨匠のような演奏をし、かなり話題になった。
私も演奏を聴いていたが、もう本当に出来上がりすぎちゃってて、
次の予選とかどうなっちゃうのかなと思っていたが、
どこかのタイミングで棄権したのだった。
番組の中で、河合の調律師さんはとても良い人だなーと思ったけれども、
実際のところ、カワイのピアノはショパコンでは、イマイチだった。
全体の広がり感に欠けて、ペチペチした感じにしか私には感じられなかった。
カワイの調律師さんはガリーナさんが河合を選んだことで盛り上がっていたが、
私は、もしガリーナさんがスタインウェイを選んでいたら、
本選まで残ったと思っている。
しかもガリーナさんは一次予選で38度の熱をだしている。
おお~やっぱり良い感じだったではないか。
山本貴志さんもショパコンでは熱を出していて、
お陰で4位に入ったし、
オリンピックなどでも熱を出した選手が金メダルとかよくある話だ。
ガリーナさんは優勝するだけのポテンシャルは充分に持っていたと思われる。
しかし、ピアノ選びに失敗してしまったのだ。
番組をみながら、横で小学三年生の娘が、
「ピアノ選びをピアニストにさせるのは大変だよね。
みんな同じピアノを使えばいいのに。」
といった。
おお、いい事いうね。
そうだよ。みんな同じピアノを使えば、
ピアノ選びで失敗したから敗戦とかいうことがなくなって、
純粋にピアニストの演奏に集中できる。
そのほうが良いよね。
しかし、FAZIOLIの調律師として派遣された日本人の調律師さんは、
2010年のFAZIOLIが凄かっただけに、
こんなに結果に違いがありすぎて、大丈夫なのか。
クビになったりしないのか、心配になってしまった。
よくわからないが、日本人の調律師さんは
今回、マニアックに走りすぎたのかもしれない。
それは小さなサロンで弾くにはとっても良い調律をしてくれるのだろうけれども、
大きなコンサートホールで弾くには、
あんまり複雑な事はいらないのかもしれない。
弾いた後の音が大切なのだ。残音が大切なのだ。
こうしたことは育った環境に、耳の作りが左右されているから、
日本人が不得意とする部分でもある。
私は子供の頃、日本の家にいた時は、ほとんどピアノの練習などしなかった。
海外に引っ越したときに、やっとピアノが楽しいと思ったのだ。
その家でピアノを弾くと楽しかったのだ。
家じゅうに響く感じ、鳴り響く感じ。
日本の住宅ではピアノが響いた後の音など聞こえないのだ。
音が壁にあたって、その後どんな音になるかなど、
日本の家では聞こえてこないのだ。
そのような環境でそだった日本人は、
なかなか耳がヨーロッパ人のような育ち方をしない。
もうこれは環境だからしょうがないことだと思う。
ピアノを弾いて、わーっと家じゅうが響いた時に、
その残音の中に、
向こうの世界と通じる小さな門が開く感じがするんだよ。