今日はインナープラネタリー瞑想会の月の回ですね。
御参加の皆様よろしくお願いします。
私は最近、ヒプノスクールにまた通っていたのですが、
基本的にヒプノの技法とか知識とかっていうのは、
勉強すればいいだけの事なので、
難しいことはないです。
だけれども、実際にヒプノセラピストとして活動していて、
とても大切なのは、ヒプノの技法とか知識だけではなく、
もちろんそれは基礎として持っていなければいけないものですが、
どこまでが個人の意識で、どこからが集団の意識なのかとか、
そういう部分が結構大切なんじゃないかなとか思います。
これがわからないで、やってると、
個人の意識なのか、集団の意識なのか、はたまたガイドの意識なのか、
その辺がさっぱりごっちゃごっちゃで、頭パーみたいな感じになりますよ。爆
いや、私も時に頭ごっちゃごっちゃで頭パーになってますから、爆
ただ、ソクラテスの弁明のように言わせてもらうと、
私は自分が頭パーなのを知っているので、
「私は自分が知らないことを知っている。無知の知なのだ。(BYソクラテス)」
とか言っちゃいますけど、(私が言うと限りなく詭弁っぽいですよ。(爆))
でも、頭パーなのを意識して、わかってないと、
本当にわけわからないセッションとか、講座をしてしまうことになるんです。
体験的に、インチャが整理できてないと、
何をやっても、どうしても、そこがあぶりだされるか、
または、絶対に自分の真実があぶり出されないように、全てをゆがめてみるか、
ということをしてしまいます。
それはつまり、簡単に説明するならば、
ちょっとセクシーな女性をみたときに
「とっても感じの良い女の人」と思う人もいれば、
「ムカつく」と思う人もいる、みたいな感じです。
体験的にセクシーな綺麗な女性に怨みがあるとか、
またはセクシーな格好をしようとしたら、親に怒られたとか、
なんらかのネガティブ体験があれば、
それがたとえば、シリウスのビジョンを見てる時だったとして、(いきなり飛ぶなぁ。)
シリウスに行ったら、セクシーな女性がでてきたとしたら、
いきなり「ムカツク」と思うかもしれないわけですね。爆
本当はただ、そこに女性がいるというだけの体験が真実だとして、
そこに女性がいるというのは100%真実の体験なわけですが、
それに付随する判断は、
自分の地球的な、インチャ的な体験からレッテルとして張り付けた感情だったりする。
地球で繰り返し体験していることを当てはめてしまうわけですよ。
こういう感じでビジョン視しても、見てるものは正しいとしても、
どこか歪んでるという風になりますね。
ですから、一度、自分の今までの人生を点検して回らないとならないと思います。
こうしたことはセラピストになる以前の準備段階として必要になると思うんです。
でないとですね、全て、自分の投影であることに気が付かないで、
歪んだ講座やセッションを提供することになってしまいます。
しかし、なんでもかんでも、すべて投影とか言ってるのは違うと思います。
心理やってるとなんでもかんでも投影と言います。爆
ルール違反をする人がいたので批判した = 自分の投影
「ルールを違反してはいけないという自分の思い込みによるものですよ」、とかね。
「心の奥で、ルールを違反したいと思ってるんですよ」
「うらやましいと思ってるから批判するんですよ。」 とか、それ、違うから。
戦争してはいけないというルールがあったとして、
それを違反する人がいたら批判するでしょう。
ルール違反したいとか羨ましいとか思ってないでしょ、普通。
ただ、そのことから、湧き上がるいろんな感情は、
子供の時の体験とか、両親との関係とか、
そうしたものは関係ありますよ、たしかに。
しかしそこで投影とかいう話をすると、
集団が学習しようとすることに、水を差していきます。
投影も含めた個人の体験が、集合意識体をつくっていくわけですから、
それは個人の経験と体験をもとに決められていくわけですから、
たとえ、個人の投影の感情があったとしても、
投影も含めた表現が必要で、
それがないと、全体が学習することがなくなるのです。
人間の集合意識全体の学習が遅れるのですよ。
人間の集合意識全体の学習がかかってるんです、そこに。
人工知能のAIみたくなってってしまう。
あれは投影という反応がないから、ああなるのだと思います。
それが集合無意識だったらどうしますか?
でも、そうはならないです。
私達は、個人の体験を投影もふくめて、複眼的に集合無意識体を構築しているから。
ですから、どこまでが個人の意識で、どっからが集合体としての意識なのかとか、
個人の意識が、実は全体にどう作用しているのかとか、
そうした知識が本当は必要なのではないか、と私は思うのです。
なんか、その辺がごちゃごちゃだな、っていつも思うのね。